Archive for 11月, 2020

Posted on 11/29/2020 at 17:26, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『使徒信条(序)~待降節第一主日』(イエス・キリストの生涯 その136)(2020.11.29)

初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった(…)ことばは、人となって、私たちの間に住まわれた。(ヨハネ福音書1章1、14節)

  • はじめに…本主日からイエス様のご降誕を待ち望むアドベントに入りました。私たちはアドベント・クランツに4本(5本)のローソクを立てて、アドベントの主日毎に1本ずつ明かりを灯していきます。今日はその1本目で「アブラハムのキャンドル」です。主の約束を信じて信仰の歩みを始めた(創世記12章1節)“信仰の父”ゆえに、約束の成就としてのイエス様の誕生へと引き継がれてきたことを想起するキャンドルです。
  • アブラハムの信仰…まず「信仰とは何か?」という問いに対して、もっとも明快に告げているのはヘブル人への手紙11章1節でしょう。「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです」。その信仰によってアブラハムは、数多の困難を乗り越えながら人生行路を歩み続けました。(もちろん失敗も)①“主のみことば”に従って(75歳の後期高齢者で)旅立ち(創世記12章1-4節)②「全能の神」を(99歳の白寿で)知り(ローマ4章19-22節)、信頼をもってひれ伏し(創世記17章1、17節)③ひとり子イサクをモリヤの山で主にささげた(同22章9-13節)のです。このアブラハムが“天の故郷(=主の臨在)”(へブル11章16節)に想いを向け、また、死者の復活を信じていたことをヘブル人への手紙は、“信仰の型”と伝えています(同19節)
  • 私たちの信仰…では、今を生きる私たちキリスト者の信仰の内容は何でしょうか? もちろん“旧新約聖書66巻のみことば”です。それをひと言で表現すると、活けるみことばなる“イエス・キリスト”ということができるでしょう。この私たちが信じるイエス・キリストがどのような方なのかを簡潔に言い表すものが“使徒信条”です。宗教改革時代の中道派のエラスムスは使徒信条について「使徒のもつ威光と純正さのしるしを帯びている」とし、カルヴァンは「使徒時代から公の信仰告白として重んじられてきたことを疑わない」、そしてルターは「簡潔に正しく信仰の項目が見事に要約されている」と評しています。カトリック、プロテスタントの如何にかかわらず、その信仰の基準、規範としての正当性が担保されています。使徒信条として確立するその過程を遡ると“古ローマ信条”にその原型を見ることができます。さらに遡ると使徒たちによる主イエス様の福音宣教、その応答としての信仰の告白(バプテスマ)に至ります(使徒の働き2章、3章、8章他参照)
  • 結び…信仰の創始者であり、完成者であるイエス様にこころの目を向けて、この待降節の時を、ともに礼拝し、ともに証ししつつ歩める幸いを感謝します。
Posted on 11/22/2020 at 15:28, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『ともに立ち、力を与えてくださった神』(イエス・キリストの生涯 その135)(2020.11.22)

神は私たちに、臆病の霊ではなく、力と愛と慎み(=懲らしめ/へブル語訳)の霊を与えてくださいました。(テモテへの手紙第2 1章7節

  • はじめに…先週、岐阜県御嵩(みたけ)町の郷土史研究家の渡辺正司さんから連絡があったとお話しましたが、渡辺さんと現地のボランティアガイドさんたちと一緒にキリシタン遺物の“ハート形手水鉢”を見に行ってきました。同様の遺物は小豆島、壱岐島にもありますから、今回御嵩町で確認されたことはキリシタン遺物としての確証が更に補完されたと言えます。木立の間をやさしく吹き抜ける風を感じつつ現地に立ち、キリスト教禁教下にあって祈りの灯を絶やさず、信仰を守り継承しようとした先達たちの面影を偲びました。
  • 絶筆の書簡…テモテへの手紙第二は、パウロ絶筆の書簡と言えます。自らの死期が間近に迫るのを感じながら(②テモテ4章6-7節)、パウロは寵愛する愛弟子のテモテに、あたかも遺言を残すように手紙を認(したた)めました。“あなたのことを絶えず思い起こしている”(同1章3節)“何とかして私のところに来てください”(同4章9、11、13、21節)と、最期の別れの時を顔と顔を合わせて過ごしたい、そんなパウロの人間味が滲(にじ)み出ています。
  • キリストの囚人…パウロはこの最後の書簡をローマの獄中で認めました。パウロは獄屋に縛られ、囚人(犯罪人)とみなされました。囚人には自由はありません。壱岐島にキリスト教宣教師を捕らえ拘留した“獄屋跡”があります。そこに捕らえられたモラーレス神父が書き残した書簡があり「私はこの牢獄に心から満足していましたから、世界中で最も名誉に満ちた良い場所とも交換したくなかった(…)私はここを牢獄とは思わず、愛する妻であり喜びの楽園だと考えていた」と記しています。パウロも牢獄にあって御国を思い、義の栄冠を授かるという希望を抱いていました(②テモテ4章1、8、18節)。主に対する信頼は微塵も揺らぐことなく、むしろ更に信頼が増し加えられていきました。人は見捨てても、主はいつもともに居られ、力を与えてくださるという確信に満たされていました(同17節)。それ故に愛弟子テモテにエールを送りました。「主の囚人であることを恥じないように」「臆病風邪に見舞われないように」(同1章7、8節)。聖霊によって“力と愛と慎み”の霊が与えられているのだ、私があなたに按手した時の重さと温かさとともに、主から与えられた召命と使命と任命を今一度思い起こしなさいと、遺言として励ましを与えました。キリストの囚人、キリストの愛に繋がれた者、これに勝る幸いは他にありません。
  • 結び…イエス様が皆さんの傍らに立ち、内側に主の愛が注がれ、弱さを強さに、恐れを愛に、懲らしめを平安に変え、復活の力を与えてくださっています。

《追記》

zoom参加を希望される方は10時15分-25分の間に

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※注意事項

①礼拝時はホストから参加者のマイクをミュート設定にします(ミュートにしないとハウリングして音声が聞き取りにくい場合があるためです。礼拝後はミュート設定を解除をします)

②イヤホンを使用すると音声が聞き取りやすい場合があります

Posted on 11/15/2020 at 22:31, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『与える神、あかしするキリスト・イエス』(イエス・キリストの生涯 その134)(2020.11.15)

私は、すべてのものにいのちを与える神と、ポンテオ・ピラトに対してすばらしい告白をもってあかしされたキリスト・イエスとの御前で、あなたに命じます。(テモテへの手紙第1 6章13節

  • はじめに…先週、思いがけないことが三つありました。一つ目は、津田一郎先生(中部大学教授・北海道大学名誉教授/数理科学・カオス学)から『富田和久講演集』(全四巻)を頂いたこと、二つ目は、壱岐の友人から近況の電話があったこと、三つ目は、岐阜県御嵩町の郷土史研究家の渡辺正司さんから連絡があったことです。向こう側からやって来る出来事、自力や努力の結果ではなく、一方的な恵みの出来事です。
  • 恵み…テモテへの手紙第一を継続して学んで、今日は、その最終章です。その最後でパウロは「恵みが、あなたがたとともにありますように」(①テモテ6章21節)で締めくくっています。“恵み”は聖書、あるいは信仰生活にとって最も重要な概念のひとつです。新改訳2017で検索すると380カ所ヒットします。聖書の語る“恵み(カリス)”とは、罪の奴隷状態(重荷)から解放されて新たな道が啓かれることです。それはイエス様が十字架の贖いの死によって私たちに新たないのち(永遠のいのち)が与えられることです。これは天地創造の父なる神が、ご自身の自由によって、価なしに、見返りなしに、一方的に私たちに惜しみなく与えられる愛の贈り物です。不合理の中、絶望せざるを得ないような状態の中にあっても、希望と喜びを見出すことができる“いのち”です。
  • 与える神、あかしされたイエス…全能の父なる神は、私たち一人ひとりに“いのち”(超自然的生命=霊的生命)を与えてくださっています。それは主の創造されたすべての物を、喜んで分かち合い、ともに楽しむようにという父なる神の、私たちに対する愛の源なる親心です。すべては主からの贈り物であり、恵みです。その極みがイエス様です。イエス様はその“いのち”を生き切ったのです。ご自身のいのちと引き換えに、罪に縛られていた(自力ではどうすることもできない)私たち一人ひとりを解放して自由にしてくださいました。そのイエス様の尊いいのちに覆われていることを体験して、生活のあらゆる場面でそのことを証しして、希望と愛を分かち合って生きること、それが私たちのミッションであり、生きがいです。
  • 結び…主の恵みが、皆さんお一人ひとりの上にあります。主が与えてくださったいのちを生きるとき、主から頂いた恵みを豊かに分かち合うとき、天に宝が積み上げられ、重みで天井が抜けるように一瞬にして主の栄光に包まれるときが訪れることを信じます。
Posted on 11/08/2020 at 17:38, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『豊かな神の家族であるために』(イエス・キリストの生涯 その133)(2020.11.8)

私は、神とキリスト・イエスと選ばれた御使いたちとの前で、あなたにおごそかに命じます。これらのことを偏見なしに守り、何事もかたよらないで行いなさい。 (テモテへの手紙第1 5章21節

  • はじめに…私の勤めるデイサービスの駐車場に一本の柿の木があります。立派な柿が実ります。しかし渋柿です。見た目の美しい若い実は鳥も食べません。しかし青みの取れた橙色の実は、庭の手入れのボランティアのおばさんが捥いで、渋抜きをしてくれます。収穫できず高い枝に残った熟し柿は、スズメたちのご馳走になり、その他の実は、落ちて土に還り肥料になります。一口に渋柿と言っても、豊かで多様な在り方(用いられ方)があります。すべての渋柿は、一本の柿の木に実るのです。
  • 信仰生活共同体…教会の始まりは、いわずもがなイエス様と出会った弟子集団のひとりひとりに聖霊が降り、聖霊に満たされたペテロらの語る福音を聞いた人々が弟子に加わり、交わり、パン裂き(聖さん)、祈りをし、財産を共有して信仰生活をともにしたことです(使徒の働き2章参照)。その後、パウロが使徒に加えられ、宣教の範囲がヨーロッパへ拡がり、足跡のようにして各地に信仰生活共同体としての教会の礎が築かれていきました。
  • 信仰生活の核…教会における信仰生活の核は「主のみことば」です。そのみことばは「神の愛」から出ます。神の愛は、社会的に弱い立場に置かれている人々、孤児ややもめ、異国人、病人を包み込む愛です。その愛は旧約聖書の時代から新約時代、そして現在に至るまで一貫しています。「在留異国人を苦しめてはならない」「すべてのやもめ、またはみなしごを悩ませてはならない」「わたしは必ず彼らの叫びを聞き入れる」(出エジプト22章21-23節)「主はかたよって愛することなく、みなしごややもめのためにさばきを行ない、在留異国人を愛してこれに食物と着物を与えられる」(申命記10章17-18節)。イエス様はやもめの息子をよみがえらせ(ルカ7:11以下)レプタ銅貨2枚をささげたやもめの生き方を評価しました(マルコ12章42-44節)。今日の聖書のテキストでパウロはテモテに、教会に集う人たちに対して父母、兄弟姉妹として、すなわち家族として接するように勧めています。そして偏見、かたよりなく奉仕の務め(召命)をまっとうするよう命じています。イエス様はおっしゃいました。「あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです」(マタイ25章40節)
  • 結び…私たち一人ひとりに出来ることは本当にわずかですが、主に任せつつ神の家族として愛を持って今日を生きる一人ひとりであるよう祈ります。
Posted on 11/01/2020 at 21:58, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『神のことばと祈りとによって』(イエス・キリストの生涯 その132)(2020.11.1)

神が造られた物はみな良い物で、感謝して受けるとき、捨てるべき物は何一つありません。神のことばと祈りとによって、聖められるからです。(テモテへの手紙第1 4章4-5節

  • はじめに…トルコ西部イズミル(聖書時代にスミルナ教会があった地方、エペソの北部)沿岸のエーゲ海で30日午後、マグニチュード7・0の地震が発生。イズミルでは多数の建物が崩落し、生存者の捜索・救助作業が行われています。イズミルや沿岸のギリシャ領サモス島では津波も発生し、死者は両国合わせて少なくとも37人確認され、負傷者は800人以上(1日午前1時現在)に達しています。今、いとすぎ教会では、エペソ教会を牧会していたテモテへの手紙を通して聖書の真理(イエス様の愛)を学んでいるところで、他人事とは思えません。
  • スミルナ…ちなみにスミルナは「没薬」という意味です。没薬は殺菌作用があり、また香料、鎮静剤、防腐剤として用いられました。さらに重要なことは、聖なる注ぎの油として幕屋の器具に塗られ(出エジプト30章23-30節)、幼子イエス様に捧げられ(マタイ2章11節)、葬りに用いられた(ヨハネ19章39-40節)ということです。つまり、主に近づき、礼拝するために用いられたのです。十字架で私たちのために“いばらの冠”を被られたイエス様(マルコ15章16-23節)は、忠実な者、近づく者に“いのちの冠”を与えようと、約束して下さっています(ヨハネ黙示録2章10節)
  • 神のことばと祈り(感謝)…今日のテキストでは、「神のことばと祈りとによって、聖められる」とパウロは語っています。当時、食べてよいものと食べてはいけないものを厳密に分け、その規定を忠実に守ることだったり、断食したりして、禁欲的に振る舞うことが信仰的であるかのような考え方がありました。しかしパウロは「神が造られた物はみな良い物だから、感謝して受けよ」と勧めたのです。イエス様も「すべての食物はきよい」とされました(マルコ7章15-19節参照)創造の主に対する感謝する思い、それは主によって私たちに与えられている“聖なる注ぎの油”であり、神のことばであり祈りです。私たちの主への感謝のことばと感謝の祈りを聞かれる主が、私たちに“いのちの冠”を被せてくださいます。そして私たちは輝いて生きる者とされるのです。栄光に輝く主が私たちを輝かせてくださいます。主は「感謝」という霊的な没薬(スミルナ)を私たちに贈り物としてくださっているのです。
  • 結び…エーゲ海沖大地震で震災に遭われたすべての人に主の励ましと慰めがあるよう、心より祈ります。そしてともに主に感謝を捧げられますように。

《追記》

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※注意事項

①礼拝時はホストから参加者のマイクをミュート設定にします(ミュートにしないとハウリングして音声が聞き取りにくい場合があるためです。礼拝後はミュート設定を解除をします)

②イヤホンを使用すると音声が聞き取りやすい場合があります

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