Posted on 03/19/2017 at 21:27, by matsumoto

集会と活動のご案内

すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。(マタイによる福音書11章28節)

どうぞ、お気軽に日曜日の礼拝にいらして下さい。お待ちしています。

《集会のご案内》

◇主日礼拝/日曜日 午後6時~7時半(現在、対面での礼拝とTeams/nobuyuki matsumoto でのリモート礼拝のハイブリッドで行っています)

◇早天祈祷会/毎日 午前5時半~6時半

《教会活動のご案内》

◇キリスト教式結婚式・葬儀・記念会(自由献金)

◇訪問聖餐式・訪問礼拝(無料)

◇人生(霊性)相談/随時(電話および面談)(無料)

◇NPOアジアン・ブリッジ(アジアの子ども達への支援)

◇マザーテレサ写真展企画

お問い合わせは、

UQ 090-9935-7053

まで。

上記活動はすべて皆様の尊い献金によってなされています。感謝します。

なお、献金の送付先は以下の通りですので、よろしくお願いします。

ゆうちょ銀行
 
記号12110 番号346951
 
なまえ マツモト マツヨ
 
(他銀行からの振込みの場合
【店名】二一八【店番】218【預金種目】普通預金【口座番号】0034695)
Posted on 12/28/2025 at 17:33, by matsumoto

『裂かれたものを一本にする主』(ユダヤ人キリスト者と共に ヴァイガシュ)(2025.12.28)

彼らに言え。神である主はこう仰せられる。見よ。わたしは、エフライムの手にあるヨセフの杖と、それにつくイスラエルの諸部族とを取り、それらをユダの杖に合わせて、一本の杖とし、わたしの手の中で一つとする(エゼキエル書37章19節)《関連聖句》創世記44:18-47:27/エゼキエル書37:15-28/使徒7:9-16

◆はじめに…私たちの人生には、さまざまな「断絶」があります。家族の不和、コミュニティの分裂、価値観の衝突、そして自分自身の心の中にある葛藤。聖書は、こうした“裂かれた現実”を見過ごすことなく、そこに働かれる主を証ししています。今日与えられた三つの聖書箇所は、共通して「裂かれたものを一本にする主」を指し示しています。

◆家族の和解…ヨセフ物語のクライマックスは、兄弟の再会だけではありません。そこには、深い断絶を越えるための“変化”がありました。かつてヨセフを売ったユダが、今や弟ベニヤミンのために自らを差し出す者へと変えられたこと。ヨセフが過去の傷に支配されず、「神はこれを良いことに変えられた」と告白したこと。この二つの変化が、裂かれた家族を再び一つに結び合わせました。

◆民族の再統合…和解は人間の努力だけではなく、主が働かれる救いの業であることが示されています。預言者エゼキエルは、主から二本の枝を一本に合わせる象徴行為を示されました。一本の枝は北王国(エフライム/ヨセフ)、もう一本の枝は南王国(ユダ)。歴史の中で裂かれた二つの民を、主はご自身の手の中で一本にされる。これは主が人々の心を新しくし、霊を注ぎ、内側から再創造するという約束です。「わたしの手の中で一つとする」(エゼキエル37章19節)の御言葉は、主こそが断絶を越える力を持つ方であることを宣言しています。

◆救いの歴史の継続…殉教者ステパノは、ヨセフの物語を語り直しながら、主の救いの糸は、拒絶されても、迫害されても、決して切れないと証ししました。アブラハムからヨセフ、そしてモーセ、さらにイエス様へ。裂かれた歴史の中を、一本の救いの糸が貫いて流れ続けています。エゼキエルが見た「一本の杖」は、イエス様においてさらに深く成就し、ユダヤ人と異邦人が一つの民とされる(エペソ2章14–16節)という新しい現実へと広がりました。主の和解は、単なる感情の癒しではありません。それは、バラバラになったものを結び合わせ、新しい使命へと向かわせる創造の業です。

◆結び…私たちの人生にも、裂かれた場所があります。関係の断絶、過去の傷、行き詰まった未来…。しかし主は、それらを御手に包み込み、一本の新しい物語へと編み上げてくださる方です。裂かれたものを一本にする主を信頼し、今日ここから、新しい年へ向かって一歩を踏み出していきたいと願います。

Posted on 12/21/2025 at 07:52, by matsumoto

『愛による知恵と救いの備え』(ユダヤ人キリスト者と共に ミケイツ)(2025.12.21)

ヨセフは眠りからさめ、主の使いに命じられたとおりにして、その妻を迎え入れ、(マタイ1章24節)《関連聖句》創世記41:1-44:17/①列王記3:15-4:1/使徒7:9-16

◆はじめに…今日はアドベント第四主日です。4本目のキャンドルに火が灯りましたが、これは「マリヤのキャンドル」です。マリヤが主の御言葉を受け入れ、御子イエス様をその胎に宿した、その従順、謙遜、そして「愛」を象徴するキャンドルです。主の知恵と救いの備えは、旧約時代、ヨセフやソロモンの夢、そして新約時代、マリヤへの御使いによる告知と、その婚約者ヨセフもまた夢で導かれ、主の計画に「はい」と応答することで実現しました。主は人間の弱さを超えて、信じる者に究極の救いを開きます。主は素晴らしい(アドナイ・ペレ)

◆旧約に見る愛の知恵:ヨセフとソロモン…エジプトの宰相となったヨセフは、パロの夢を解き明かし、7年の豊作と大飢饉に備える知恵を与えられました(創世記41章)。彼の知恵と備えによって、イスラエルの家族は飢えから守られ、主の民の歴史が続きました。しかし彼の真の知恵は、自分を売った兄弟を赦すという「愛」にありました。ソロモン王はギブオンで、夢の中で主の知恵を求め、これを授かりました(列王記上 3:15)。ソロモン王は、二人の遊女の裁きにおいて、我が子を想う母の「慈愛」を見抜き、命を救いました。主の知恵とは、常に最も小さき者の命を愛おしむ心から発せられるのです。

◆マリヤの「はい」とヨセフの「はい」…この「愛」の物語は、新約の聖家族へと引き継がれます。マリヤは、御使いガブリエルからの「告知」を通して、救い主を宿すという常識を超えた主の計画を受け取りました(ルカ1章)。主の言葉を信じ、「ご覧ください、わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように」(ルカ1:38)と、従順の「はい」をもって応答しました。そして、マリヤの婚約者であったヨセフもまた、苦悩の中で夢による導きを受け入れ、マリヤと幼子を守り抜く決断をしました。「ヨセフは眠りから覚めると(va-yiykatz)、主の御使いが命じたとおりに、マリヤを妻として迎えた」(マタイ1:24)。彼は自らの体面よりも、主の計画と家族への「守護の愛」を選び、行動による「はい」を示したのです。

◆結び…二人のヨセフとソロモン、そしてマリヤ。彼らに共通するのは、主の呼びかけに対し、損得ではなく「愛」と「信頼」をもって応答したことです。主の救いの備えは、今も私たちの日常の中に働いています。私たちが戸惑いや悩みの中でも、マリヤやヨセフのように主の御声に「はい」と応答するなら、私たち自身もまた主の愛の物語となります。このアドベント、主の愛の光が皆様の歩みを照らし、その知恵が豊かな希望となるよう、お祈りいたします。

Posted on 12/14/2025 at 16:31, by matsumoto

『羊の門なるイエス様』(ユダヤ人キリスト者と共に ヴァイェシェブ)(2025.12.14)

そこで、ヨセフは人をやって、父ヤコブと七十五人の全親族を呼び寄せました。(使徒7章14節)《関連聖句》創世記37:1-40:23/アモス書:6-3:8/使徒7:9-16

◆はじめに…私たちは今日の第三アドベントに、主の揺るぎない救いの約束を振り返ります。私たちは、その救いの約束の成就であるイエス様を指し示したバプテスマのヨハネを象徴する「バプテスマのヨハネのキャンドル」に火を灯します。

◆羊の門なるイエス様…今日取り上げた聖書箇所は、ステパノの宣教の一節で、ヨセフは“人をやって”父ヤコブら親族一同を呼び寄せました。ヨセフから遣わされた人は、イエス様の到来の道備えをしたバプテスマのヨハネの型と言えます。そしてヨセフは神の民を呼び集められるイエス様(羊の門)の型です。

◆御国への熱意…バプテスマのヨハネは、自らを「荒野で叫ぶ声」とし、「悔い改めよ」と迫りました。彼は、人々からの賞賛を求めず、ただひたすらに「私はその方の履物のひもを解く値打ちさえない」「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」と語り、主イエス様を指し示しました。これは、私たち人間の隠されている自己中心という罪の本性を明らかにし、神の御国へ入るための唯一の道である「羊の門なるイエス様」を示したのです。バプテスマのヨハネが指し示したイエス様は「バプテスマのヨハネの日以来この方、天の御国は激しく攻められています。そして、激しく攻める者たちがそれを奪い取っています」(マタイ11:12)と語られました。この「激しく攻められています(=ほとばしり出ています)」という言葉には、神の御国への熱意が込められています。想像してください。真冬の寒さから、あるいは飢えから、羊飼いの保護と豊かな食物(永遠のいのち)のある囲いの門の前に、多数の羊の群れが押し合いへし合いしている様子を。ヨハネのメッセージを聞き、悔い改めた徴税人や遊女たちは、まさにこの「押し合いへし合い」するように、神の御国(イエス様のふところ)へ飛び込もうとしたのです。

◆主の計画と私たちへの問いかけ…人間のどんな罪や悪意(憎しみからヨセフを売った兄たちの行為など)も、主のご計画を阻止することはできません。主は私たちの最も深い悪意さえも、ご自身の壮大な計画の中で働かせられます。しかし同時に、主は義の神であり、不正や罪を看過されることはありません(アモス3章7-8節参照)。その私たちの罪をイエス様は身代わりとなって自ら背負って下さったのです。だからこそ、私たちは問われています。私たちは、この救いの約束をどれほどの熱意をもって求めているでしょうか? 私たちは、「押し合いへし合いする羊」のように、イエス様のふところへ方向転換をしているでしょうか?

◆結び…バプテスマのヨハネの光のもと、羊が囲いを求めて押し寄せるように、切実に救い主イエス様を求めつつ待降節のときを共に歩める幸いを感謝します。

Posted on 12/07/2025 at 21:12, by matsumoto

『シャロームのともし火を灯す』(ユダヤ人キリスト者と共に ヴァイシュラフ)(2025.12.7)

彼らは鳥のようにエジプトから、鳩のようにアッシリヤの地から、震えながらやって来る。わたしは、彼らを自分たちの家に住ませよう。──主の御告げ──(ホセア書11章11節)《関連聖句》創世記32:4-36:43/黙示録7:1-12

◆はじめに…私たちは今、アドベント・クランツの2本目のキャンドル、「預言者のキャンドル」、別名「平和のキャンドル」に火を灯しています。本日、私たちが心に留める預言は、ホセア書11章11節です。「震えながらやって来る」という言葉は、かつて異国の地に散らされ、故郷を失った神の民の姿を描いています。しかし、この姿は、私たちが日々、真の安息の場所を見つけられず、不安や恐れの中で生きている姿と重なります。

◆震える者ヤコブの格闘…この「震える者」の典型が、創世記32章のヤコブです。彼はかつて欺いた兄エサウとの再会に怯え、知恵や財産を尽くしても真の安心は得られませんでした。真の平和は、人間的な準備ではなく、まず神との格闘から生まれます。ヤコブはヤボクの渡しで神の使いと格闘し、「イスラエル(神と戦う者)」という新しい名と祝福を掴みます。この格闘を通して得た確信が、翌日のエサウとの劇的な和解へと導いたのです。

◆約束の成就:永遠のシャローム…ヤコブが最終的に帰る「神の家=ベテル」への物語は、イエス様の約束へと繋がります。「わたしの父の家には、住まいがたくさんある。(…)場所を備えたら迎えに来ます」(ヨハネ14:2-3)。震える私たちに、イエス様ご自身が、永遠のシャローム(平和・完全な状態)に満ちた「安心して帰るべき家」を完全に備えられました

◆今ここにシャロームを創造する使命…しかし、その究極の「平和の家」は、遠い将来を待つだけのものではありません。ヤコブが「ペヌエル」で神と格闘し、新しい名を得たように、私たちも「平和の君」なるイエス様から、聖霊という火種をいただいています。イエス様は、私たちを遣わす家々に「平安(シャローム)を祈るあいさつ」をするよう命じられました。ヤコブが恐れを乗り越えて和解を求めたように、私たちもまた、争いと不安に満ちたこの暗い世にあって、私たちが住む家、出会う隣人の家に、この「シャロームのともし火」を灯す使命が委ねられているのです。

◆結び…このアドベント、私たち一人ひとりが、震える者ヤコブに与えられた祝福を思い起こし、家族や隣人のために、坦々と(穏やかに、しかし確実に)シャロームの光を灯し続ける者として歩めるなら幸いです。

Posted on 11/30/2025 at 08:28, by matsumoto

『約束の旅路と天への梯子』アドベント第一(ユダヤ人キリスト者と共に ヴァイェツェ)(2025.11.30)

そして言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。天が開けて、神の御使いたちが人の子の上を上り下りするのを、あなたがたはいまに見ます。」(ヨハネ福音書1章51節)《関連聖句》創世記28:10-32:3/ホセア書12:13-14:10

◆はじめに…先週の通勤時に、車のフロントガラス越しに、小高い丘から空に向かって延びる美しい虹を見ました。「あなたの歩む道の先には希望がある」と、主が語りかけておられるように感じ、腹の底からいのちが湧き上がってくるようでした。本日からアドベント(待降節)に入ります。クランツに灯す最初の一本は「アブラハムのキャンドル」です。「わたしが示す地へ行きなさい」という主の約束を信じ、信仰の旅を始めた「信仰の父」アブラハムを覚える光です。

◆アブラハムの生涯…アブラハムが旅立ったのは75歳の時でした。現代の日本で言えば後期高齢者にあたり、社会の第一線から退く年齢です。しかし、気力や体力が衰え、自分自身の力に頼れなくなる時だからこそ、逆に主への純粋な信頼は深まっていきます。99歳になった彼に、主は「男の子を与える」と約束されました。常識では笑ってしまうような言葉ですが、主は「主に不可能なことがあろうか」と語られ、実際にイサクをお与えになりました。アブラハムの生涯は、人間の限界を超えて働く神の真実さを証ししています。

◆ヤコブの生涯…神の導きは、その孫ヤコブにも及びました。孤独な逃避行の最中、ヤコブは夢の中で天と地をつなぐ「梯子」を見ます。そこで神は「わたしはあなたとともにいる」と語りかけられました。神は昔から、預言者を通し、あるいは夢を通して、旅する民を決して見捨てず導いてこられました。

◆天と地をつなぐ真の「梯子」…そして今、そのすべての約束はイエス・キリストにおいて成就しました。主イエスは「神の御使いたちが人の子の上を昇り降りする」と語られました。イエス様ご自身こそが、天と地をつなぐ真の「梯子」です。アブラハムの死が息子たちを和解させたように、イエス様の十字架の死は、神と人、人と人との間に和解の道を拓き、永遠の命を与えてくださいました。

◆私たちの人生に来て下さった主…私たちの人生もまた旅路です。アブラハムのような老いや弱さ、ヤコブのような不安の中にあったとしても、神は「わたしは共にいる」と語り続けておられます。イエス様によって天は開かれています。主は死を滅ぼし、涙をぬぐわれる方です。このお方が、歴史のただ中に、そして私たちの人生に来てくださったのです。

◆結び…私たちの旅は決して孤独ではありません。イエス様という「梯子」によって、天とつながっている希望を胸に抱きつつ、待降節の喜びの日々をともに歩みたいと願います。

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