Posted on 02/02/2014 at 07:01, by matsumoto
信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。(ヘブル11章1節)
■ はじめに…「わたしの願い」/わたしはしゃべれない歩けない/口がうまくうごかない/手も足も自分の思ったとおりうごいてくれない/一番つらいのはしゃべれないこと/言いたいことは自分の中にたくさんある/でもうまく伝えることができない/先生やお母さんに文字盤を指でさしながら/ちょっとずつ文ができあがっていく感じ/自分の言いたかったことがやっと言葉になっていく/神様が1日だけ魔法をかけて/しゃべれるようにしてくれたら…/家族といっぱいおしゃべりしたい/学校から帰る車をおりてお母さんに/「ただいま!」って言う/「わたし、しゃべれるよ!」って言う/お母さんびっくりして腰をぬかすだろうな/お父さんとお兄ちゃんに電話して/「琴音だよ!早く、帰ってきて♪」って言う/2人ともとんで帰ってくるかな/家族みんながそろったらみんなでゲームをしながらおしゃべりしたい/お母さんだけはゲームがへたやから負けるやろうな/「まあ、まあ、元気出して」ってわたしが言う/魔法がとける前に/家族みんなに/「おやすみ」って言う/それでじゅうぶん
■ 不自由さの中で… indian viagra tablets names, trusted pharmacy cpm, canadian on line pharmcay hydroxyzine. buy fluoxetine online no prescription- india finpecia price? これは産経新聞夕刊1面の「夕焼けエッセー」に掲載された、事故の後遺症で肢体不自由となり言葉も失った小学6年生、森琴音ちゃんの詩です。私たちの身近なところにも不慮の事故や病気、生まれた境遇で、ほんのささやかな自由さえない生活を送っていらっしゃる方があります。聖書の中にもそのような人々が数多く描かれています。足の不自由な人、目の不自由な人、悪霊に憑かれた人、貧しい人…。
dec 21, 2014 – uk drug buy dapoxetine online buy priligy australia common pills online dapoxetine uk pill generic priligy buy priligy treat premature ■ 共に生き、死なれ、復活された主…イエス様は、徹底して身体的、精神的、社会的な不自由さの中で生きている人々に寄り添って生きられました。それらの人々の痛み、苦しみ、悲しみ、病を自らのこととして生きられました。生きられただけでなく、そのために十字架を負って死なれました。しかしそれで終わりではなく復活されました。
■ 信仰…この主イエス様が、今も私たちを大切にしてくださっていることに信頼すること、霊的にイエス様とつながっている信仰が、私たちに与えられています。
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■ 結び…新しい週、1日だけの魔法(奇跡)にとどまらず、復活、永遠のいのちを約束してくださっている主イエス様からの希望を胸に抱いて生きられますよう、祝福して祈ります。
Posted on 01/26/2014 at 08:33, by matsumoto
神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです。
(Ⅱコリント1章4節)
■ はじめに…2月から新しい職場(デイサービス)で働くことになったと先週お話しました。その職場は、私が保育園に行く年になるまで住んでいた場所にあります。言ってみれば私の人生の出発地点な訳です。人生の折り返し点(百歳までいのちがあればの話ですが…)の年齢になって、再び同じ場所から新しいスタートを始められるのは何かしら主の取り計らいを感じます。
■ 自己効力感…人は、何かしら行動を起こそうとする際、自己効力感(セルフエフィカシー)というフィルターを通して「出来そうかな?」を判断します。今、座っている椅子から立ち上がるといったことから、人生を賭けた決断に至るまでそうです。
■ 信仰…とかく私たちは、出来ないことを数え上げがちです。あるいは「~せねばならない」というような強迫観念を持ったりしがちです。そのような“誤った信念”を持つことによって負の渦巻きに陥ってしまいます。そのように世の荒波に翻弄(ほんろう)される私たちを顧みて、主なる神様は“みことば”によって人生を導いて下さいます。主のみことばによって判断し、聖霊の導きによって行動する“健全な信仰”を、主は私たちに与えて下さっています。みことばによって自己効力感は高められ、モチベーションが保たれます。
■ 全能の主…今日のテキストにあるように、みことばによって、私たちは苦しみの中にいる人を慰めることが出来ることを確信します。また、みことばによって、共に分かち合うことが出来ることも確信します(Ⅱコリント8章1節)。このように私たちが“出来る”と確信するのは、主が、私たちに先立って恵みを与えることができる方(Ⅱコリント9章8節)であり、すべてを成し遂げて下さる方(詩篇138篇8節)だからです。
■ 結び…新しく始まる一週間、皆さん一人ひとり、すべてを成し遂げて下さる主のみことばによって力を受け、それぞに与えられた人生の課題に前向きにチャレンジされるよう、祝福して祈ります。皆さんの人生は、決して失望に終わることはありません。
Posted on 01/19/2014 at 19:18, by matsumoto
イエスは答えて言われた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」(ヨハネ3章3節)
■ はじめに…先週の夢の話です。私は合宿最終日の礼拝のメッセージの担当になっていたのですが、帰り支度に手間取って、礼拝開始時間に間に合わず、しかもメッセージの準備も出来ないまま、遅れて礼拝堂に入って行きました。幸いにまだ礼拝は始まっておらず、皆が何かアンケート調査のようなことをしていました。メッセージには間に合ったのですが、何を語ればよいのか皆目見当もつかないまま講壇に立ったのでした。
■ 新しく生まれる…それはまさに何も持たない裸の赤ん坊と同じでした。自分の力ではどうすることも出来ない状態です。ただ、お母さんに向かって泣き声をあげる赤ん坊のように、天を見上げて主にすべてを委ねるしかありません。そこで示されたのが今日のテキストのヨハネ3章3節でした。そして“空”というインスピレーションでした。それはまた、“主の満たし”のメッセージでした。この満たすためのの空間(あるいは器)を主が創造された、このことを確信しました。自力で空しさを埋めるのではなく、主の祝福で満たすこと、それが私たちの信仰生活です。
■ 水と霊…創世記の最初に「地は形がなく、何もなかった」(創世記1章2節)と記されてあります。しかし闇の下に、つまり最も低いところに「水」と「神の霊」がありました。ヨハネ福音書3章でニコデモに対してイエス様は「水と霊によって生まれなければ(…)」と語っています。つまり闇に覆われているような低いところから生き始めよ、そうイエス様は私たちに語りかけておられるのでしょう。そこが私たちの信仰生活の始まりの場所だと。
■ 闇に光…闇があるところに光があり、低いところに天国(神の国)があり、いのちと祝福があります。そこに父なる神様は御子イエス様、御言葉なるイエス様を遣わされました。
■ 結び…私たちの人生、一寸先は闇です。しかしそこに主イエス様が来て下さり、御言葉で照らして下さり、将来と希望、恵みと平安で満たして下さいます。
Posted on 01/12/2014 at 13:08, by matsumoto
私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によって(原語=神の子の信によって)いるのです。
(ガラテヤ2章20節)
■ はじめに…「神を信ずるにあらず、神に信ずるにあり。自己を神に信(まか)しまつるにあり。自己に死して、キリストをして代わりて生かしめまつるにあり(ガラテヤ 2章20節)。信仰の秘訣はこれなり。大なる能力(ちから)の加えらるるも、聖き思想の与えらるるも、その秘訣はすべてこれなり」。これは内村鑑三が自身の雑誌『聖書之研究』に『信仰の秘訣』と題して掲載した文章です。
■ 信仰の秘訣…信仰の秘訣は、神の御子“を”信じることではなくて、神の御子“に”信頼することだと断言しているのです。御子は私たちの信仰の対象や信仰のアクセサリーではなく、信仰の源であり、名実ともに私たちの「主」です。この主イエス様に信頼するときに、私たちに大いなる力が働き、聖なる考えが与えられ、救いの業を体験します。
■ 魂の救い…先週、人間は霊、たましい、からだの3つの側面があり、それらは一種の通路であって、この通路の通りが良くなることが“救い”だということを学びました。内村鑑三の言う、大なる能力、聖き思想を別の言い方をすれば、意志の救い、考えの救いと言うことができるでしょう。たましい(精神)は知、情、意、すなわち考え、感情、意志に分類できますから、『信仰の秘訣』とは『魂の救い』と同義と言えるでしょう。
■ 主体的選択… cheapest prices pharmacy. dapoxetine online kaufen . instant shipping, dapoxetine in india price. たましいの救いとは、神様がイエス様を通して与えようとしておられる祝福を、私たちが主体的に選び取るということです。その選びに導くのがまず“考え”です。しかし往々にして私たちは世の考え(欲望と不安)にだまされやすいのです。ですから、みことば(コロサイ3章)によって選択することです。また“感情”は救いの原動力になりますが、しばしば環境に支配され衝動的になります。祈りによって霊感が回復し、抑圧された感情が新しくされます。堕落した“意志”は快楽と本能の奴隷になります。一途に、一心に、みこころに向かっていく意志的決断が必要です。
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azithromycin cost rite aid zithromax online ■ 結び…新しい一週間、キリストの体に結ばれた信仰生活を通して皆さんが救いの醍醐味を体験されるよう、祝福して祈ります。
Posted on 01/05/2014 at 08:31, by matsumoto
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イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。(ヨハネ14章6節)
■ はじめに…自転車に乗る練習を覚えていますか? 私の場合は、母が2、30メートルくらい先に立って、その母の立っているところを見つめて、まず右足でペダルを踏み込み、そして次は左足で…。誰しも、そんな風にして練習したのではないでしょうか。「イエスから目を離さないでいなさい」というのも、それと同じでしょう。私たちを信頼し、励ましておられるイエス様の慈しみと眼差しが、私たちの信仰の成長の源です。2013年は「結びシリーズ」としてみことばを聞いてきましたが、2014年は「信仰シリーズ」としてみことばに聞いていきたいと願っています。
■ 通路…私たち人間は、霊、たましい、からだの三つの側面を持っています(Ⅰテサロニケ5章23節)。これらは人の内に備わった一種の“通路”です。環境とからだの通りが良ければ「満足、健康」になり、他の人とたましい(心)が良く通じれば「幸せ」になります。神様と霊が通じるのが「信仰」です。
■ 不通…反対に、霊と神様、たましいと人、からだと環境が通じない“不通”の状態が「罪、滅び」の状態です。私たちの人生の道は、その行てが阻まれ、不通状態のときが何と多いでしょうか。人と心が通じない、誤解、不信、裏切り、忘恩、背徳による不幸。生理現象がスムーズにできないことからくる消化不良などの苦痛。
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■ 救い…これら通じなかったところを、再び通じるようにすることが「救い」です。そのためにイエス様ご自身が道となってくださったのです。その道は、この世の人生の道を突き抜けて、永遠の御国までつながっています。その道は真理であり、いのちです。この神と出会う通路が、既に私たちの内側にあるということです。
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■ 結び…私たちの霊、たましい、からだの通路を開いてくださり、いのちを与えてくださる救い主イエス様にすべてを委ね、信頼し、今週出会う隣人の救いのために、さらには万物の完成のために働く新しい一週間となるよう、祝福して祈ります。