見よ。まことにわたしは新しい天と新しい地を創造する。先の事は思い出されず、心に上ることもない。(イザヤ書65章17節) また私は、新しい天と新しい地とを見た。以前の天と、以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。(ヨハネ黙示録21章1節)
◆はじめに…我が家の庭のバラが今、花盛りです。美しい花びら、芳しい香り。その一方で黒点病、ダニ、肥料過多等で葉っぱが変色したりして、一喜一憂しています。それでも新しい葉っぱが出、花芽が付き、次の開花に向けて健気に生きています。古くなった下葉は黄色くなって自ら落葉します。自ら落葉することで新しい葉に美しい花を咲かせる働きを託しています。バラを通して神様の創造の業を喜びつつ、いのちの尊さを学ばされています。
◆嫌なことは忘れない…人は、悲しかったことや苦しかったこと等、過去に経験した嫌な出来事は忘れません。これは私たちの脳が、嫌だった体験を繰り返さないように、詳しく情報を処理し次に備えようとするためです。つまり生きるためのリスク回避の手段なのです。しかしリスクを回避して生き延びるだけの人生だとしたら…。それこそ生きている意味がありません。では何のために神様は世界を創造し、人を創造したのでしょうか? そして今、過去と現在に、がんじがらめなっている私たちを、どのようにしようとお考えなのでしょうか?
◆楽しみ喜べ…神様は最初に天地創造された際、すべてをご覧になり「非常によかった(=心地よさで富んでいた/ヘブル語直訳)」(創世記1章31節)とおっしゃいました。しかし、その心地よさは、人の罪によって一転、不愉快な展開に。ルール違反、責任転嫁、そして殺人。そんな人間をあきらめることなく忍耐をもって今も関わり続けておられる主が、イザヤの預言のなかで「新しい天と新しい地を創造する」(イザヤ65章17節)と宣言し、「いついつまでも楽しみ喜べ(=極みまで歓喜し喜べ/ヘブル語直訳)」(同18節)、わたし(主)もあなた方を喜ぶ(同18-19節)、とおっしゃっています。主が創造してくださる新天新地は、花婿なる再臨のイエス様が花嫁なる私たちを神の家族として迎え入れてくださる神の家です(ヨハネ福音書14章2-3節参照)。この約束のみことばを確信するとき、もう人生を脅かすリスクを想定する必要はなくなります。過去の苦く辛い体験の束縛(呪縛)から解放してくれます。
◆結び…創造の主は、私たちがいのちの極みまで喜び楽しめるように、そして主ご自身、その喜ぶ私たちのいのちを喜ぶように、新しい天と新しい地の創造を確約してくださっています。
神を待ち望む者のために、このようにして下さる神は、あなた以外にとこしえから聞いたこともなく、耳にしたこともなく、目で見たこともありません(イザヤ書64章4節) 目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮かんだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである(①コリント2章9節)
わたしはひとりで酒ぶねを踏んだ。国々の民のうちに、わたしと事を共にする者はいなかった。わたしは怒って彼らを踏み、憤って彼らを踏みにじった。それで、彼らの血のしたたりが、わたしの衣にふりかかり、わたしの着物を、すっかり汚してしまった。(イザヤ書63章3節) その方は血に染まった衣を着ていて、その名は「神のことば」と呼ばれた。(ヨハネ黙示録19章13節)
神である主の霊が、わたしの上にある。主はわたしに油をそそぎ、貧しい者に良い知らせを伝え、心の傷ついた者をいやすためにわたしを遣わされた。捕われ人には解放を、囚人には釈放を告げ、主の恵みの年と(…)(イザヤ書61章1-2a節、ルカ福音書4章18-19節)
国々はあなたの光のうちに歩み、王たちはあなたの輝きに照らされて歩む(…)あなたの門はいつも開かれ、昼も夜も閉じられない。国々の財宝があなたのところに運ばれ、その王たちが導かれて来るためである(イザヤ書60章3、11節)/ 諸国の民が、都の光によって歩み、地の王たちはその栄光を携えて都に来る。都の門は一日中決して閉じることがない。そこには夜がないからである。こうして、人々は諸国の民の栄光と誉れとを、そこに携えて来る。(黙示録21章24-26節)