Posted on 06/11/2017 at 21:14, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『生きるも死ぬもキリスト』(黙示録 その29)(2017.6.11)

 

とりこになるべき者は、とりこにされて行く。剣で殺す者は、自分も剣で殺されなければならない。ここに聖徒の忍耐と信仰がある。(ヨハネ黙示録13章10節)

  • はじめに…イースター(復活)からペンテコステ(聖霊降臨)の間、ヨハネ黙示録を主題にしたメッセージは中断していましたが、本主日から再開します。前回(黙示録 その28)は、ヨハネ黙示録12章6節「女は荒野に逃げた(…)そこには神によって備えられた(=堅く立てられた、定められた)場所があった」のみことばから、敗北としか言えないような場所、私たちの今、生きている生活の座に、主なる神様の大いなるご計画と祝福があることを学びました。本主日は、その次の13章、すなわち、大患難時代の後半の3年半の預言から主のメッセージを聞きたいと願っています。
  • 二匹の獣(けもの)…13章で、二匹の獣が登場します。一匹は「海からの獣」(黙示録13章1節)、もう一匹は「地からの獣」(同11節)です。この二匹の獣は“サタン(竜)の両腕”とも言うべき存在で、この世の政治勢力(反キリスト)と偽宗教(偽預言者)です。それを数字の暗号(ゲマトリア)を用いて“666”と使徒ヨハネは告げています。終末の世では、この二大勢力によって翻弄され、惑わされ、そして崇めるようになるのです。
  • 生きること、死ぬこと…しかし、サタンとその手下に膝をかがめない聖徒に対して迫害が起こることが記されています(黙示録13章10節)。その迫害に対して、忍耐と信仰をもって、徹底して無抵抗を貫くよう、奨励されています。最近、巷で話題になっている『夜廻り猫』という漫画家・深谷かほるさん原作の8コマ漫画があります。悩んでいる人を探して夜の街をパトロールする猫・遠藤平蔵が、誰かの“涙の匂い”を察知すると、その人のもとを訪れ、あくまで寄り添って話を聞くだけで、解決はしないけれども不思議と癒されるストーリー。その137話の中の一コマに、こんなセリフがありました。「生きものは、いてくれるだけで、他の生きものの力になるんだ」。ジャンルはまったく違う内村鑑三著『一日一生』より“死は犠牲である。(…)贖罪である。死の苦痛は決して無益の苦痛ではない(…)死は実に人がこの世において為すを得る最大事業である”
  • 結び…時が良くても悪くても、御国の希望を抱く信仰者として生き、生をまっとうして死に臨む一人ひとりであるよう、祈ります。
Posted on 06/04/2017 at 20:03, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『視座を変える』(2017.6.4)

 

そこでペテロは彼らに答えた。「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。(使徒の働き2章38節)

  • はじめに…毎週土曜日は、デイで将棋を指すことになったことを先週、お話しました。昨日も11時から約30分、将棋の対局をしました。公式戦連勝記録を更新し続ける藤井くんのことも話題に上り、「今日も苦しい将棋だった。20連勝は自分の実力からすれば僥倖(ぎょうこう)としかいいようがない。今後も連勝は意識せず、一局一局大切に戦いたい」と、“僥倖”ということばを使ったことに、いたく感動されていました。わが家でも将棋ネタが話題に上ることもしばしばあり、先日は「ひふみんアイ」ということばをはじめて知りました。
  • 将棋の効用…将棋は単に暇つぶし的な「遊び」ということではなく、そこから(特に子どもが)学ぶべきことがいろいろあると言われています。ある将棋に関するコラムに書かれてあったものですが、①将棋の「3つの礼」、②「負け」から学ぶ、そして③「無言の声援者」。将棋は勝ち負けを競いながら強くなっていくこともさることながら、礼にはじまり礼に終わるといった、礼節を学ぶ機会です。相手があってはじめて対局できます。その相手に対する敬意を表す「お願いします」で始まり、「負けました」と、敗者の宣言をし、最後に「ありがとうございました」の感謝のことばで終了します。「負けました」と敗者宣言することは勇気のいることです。経済効率一辺倒の競争社会の中で、勝つことが求められ、勝つことが至上命題のように言われます。しかし、負けて成長することができるのです。なかなか「負けました」と言えずに涙する少年が、少なからずいます。しかし、その経験を通して確実にこころが成長していきます。将棋大会では声を出しての声援は禁止されています。ですから保護者は子どもの力を信じて、子どもに任せるといった無言の声援者となります。
  • 悔い改め…この将棋の「型」と信仰者としての「型」には共通点があります。主を前にして「負けました」つまり「私は罪人です」と宣言する勇気、「主よ、感謝します」という感謝、そして密かに隣人のために祈る「とりなしの祈り」。その霊性の中に聖霊様が住んでくださいます。
  • 結び…将棋界の棋士ならぬ、キリスト教会における棋士として人生の対局を一局一局、丁寧に誠実に取り組む皆さん一人ひとりであるよう、祈ります。
Posted on 05/29/2017 at 21:00, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『降って来られる三位一体の神』(2017.5.28)

 

彼らは三日目のために用意をせよ。三日目には、主が民全体の目の前で、シナイ山に降りて来られるからである。(出エジプト記19章11節)

  • はじめに…先週の火曜日と水曜日の2日間、『いとすぎ霊性セミナー』を当教会にて開催しました。「“赦す”ことで自分自身が自由になる(癒される)」「 “忍耐”が、キリストの花嫁を美しく飾る宝石になる」という福音の真理を講師のマーカス師から学びました。参加されたうちの一人の方が「今回のセミナーは、いやしの集会でしたね」と感想を語っておられました。
  • 聖霊降臨…セミナーは終始、主の臨在と愛に包まれ支えられていました。一人ひとりに聖霊様の働きかけがありました。霊の気づきが与えられ、悔い改めに導かれ、温かな交わりが与えられました。一人ひとりには欠点があり、弱さがあり、罪の性質があり、お互い、ことばと行いに未熟なところがあったと思います。しかし、それらを優しく包み込む主の御手の守りがありました。“孤児の霊”の捕らわれから解放され、聖霊の満たし、聖霊の内住する“神の家庭”に引っ越しし、神の家族の体験がありました。いとすぎ教会の聖霊降臨の出来事だったのではないでしょうか。
  • 降って来られる神…今回のいとすぎ教会のセミナーしかり、主は、私たちの生きている現場に降って来られる方です。そこがどれほど人目に付かないような辺境で、何もなく、暗いところであっても、です。むしろそのような所こそ、主が目を留めてくださり、獲物を見つけたワシのように急降下して来てくださるところです。
  • 世界が変わる…主が来られるところは、世界が変わります。悲しみは喜びに、に、呪いは祝福に、憎しみは愛に変わります。嘆きは祈りに、つぶやきは感謝に、退屈は感動に変わります。ことばが劈(ひら)かれ、身体は軽くなり、霊は満たされます。今回、セミナーに参加された方に起こった変化が、このことを物語っています。
  • 結び…愛の神様が私たちのところへ降って来られ、私たちを愛してくださり、愛によって霊的変化(青虫、さなぎ、そして蝶へと)をさせてくださいまます。愛なる主に自分自身を委ねる皆さんであるよう、祈ります。
Posted on 05/21/2017 at 20:54, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『方言(故郷のことば)=いのちのことば』(2017.5.21)

 

すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。(使徒の働き2章4節)

  • はじめに…わたしの勤めているデイ・サービスは、一人ひとりの利用者さん(お客様)のそれぞれのニード(新しいことにチャレンジすること)に最大限、応えていくように努めています。その中で、最近、認知症予防のための脳トレのひとつとして「将棋をやりたい」という方が出てきました。わたしは将棋はやったことがなかったのですが、そんなことで週一回、約30分、その方と将棋を始めました。私にとってはまったく新しい世界です。
  • 聖霊(風)の満たし…さて、先主日は、「ラグ・バオメル」(オメルの第33日目)というユダヤの祭りについて学びました。その後、五旬節(シャブオット)、すなわちペンテコステになります。ユダヤ暦に基づけば今年2017年は5月31日(水)になりますが、教会暦では6月4日(日)になります。ペンテコステ以前、弟子たちは「誰が一番偉いか」というような議論をしていました(ルカ22章24節)。高慢な心の中には、聖霊の風は吹いて来ませんでした。「風は己が好む所に吹く」(文語訳・ヨハネ3章8節)とイエス様がおっしゃいました。イエス様の十字架の出来事によってのみ、私たちの高慢な心は砕かれ、聖霊の好む所としていただけるのです。
  • チェンジ…聖霊に満たされて後、ペテロは宣教を始めました。きっと胸を張って生まれ故郷の“ガリラヤ訛り”の方言で語りだしたことでしょう(使徒の働き2章14節以降)。「そんな人は知らねえ…」とイエス様を裏切ったのと同じ田舎のことばで。しかしそのことばは、あの無関心を装った冷たいことばではなく、血の通った愛のあることばに変化していたことでしょう。それはあたかもカナの婚礼の際、水がめに入れた水が最上のぶどう酒に変わったかのようです。
  • パン種入りの二個のパン…過越の祭のときは種なしパンが用いられましたが、五旬節にはパン種を入れて焼いた2個のパンが神殿にささげられました(レビ記23章17節、エペソ2章18節、同3章6節参照)
  • 結び…私たちの敵意を十字架で廃棄し、御国を相続する者としてくださる主に感謝を自分のことばでささげる一日一日を生きる皆さんであるよう祈ります。
Posted on 05/14/2017 at 20:56, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『オメルの第33日目(ラグ・バオメル)』(2017.5.14)

 

ノアの生涯の六百年目の第二の月の十七日、その日に、巨大な大いなる水の源が、ことごとく張り裂け、天の水門が開かれた。(創世記7章11節)

 

  • はじめに…先主日の午後、Tさんのお見舞いの帰り道、少し黄金色に色づいた畑を見つけ、「もしや!?」と思い、脇道に入って確認してみるとやはり大麦でした。過越の祭りの2日目に「初穂の祭り」として大麦の束(オメル)を主にささげることがレビ記23章10-11節に記されてあります。それからペンテコステ(五旬節)まで毎日、大麦の束を捧げるよう指示されています。
  • オメル第33日…大麦の束を捧げる際、「今日は第23日目、オメルを数え始めて3週間と2日」というように数を数えながらささげるそうです。その33日目が「ラグ・バオメル」という祭日になっています。このオメルの第33日目に関連する出来事がいくつかあります。①バル・コクバの乱(132年)の指導者ラビ・アキバの2万4千人の弟子の疫病の収束、②1948年イスラエル国防軍の誕生、そして③ノアの洪水のはじまり
  • ノアの箱舟…箱舟の寸法は長さ300キュビト、幅50キュビト、高さ30キュビトです(創世記6章15節)。長さ、高さは幕屋の3倍の寸法です。幕屋9つ分が箱舟の容積になります。明らかに(将来の)幕屋を意識して設計されています。この箱舟にノアの家族8人とすべての生き物一つがいずつ(きよい動物は七つがいずつ)が入りました。また食料も積み込みました。まだこのときには、祭りの規定や礼拝の仕方の明確な指示は、主からありませんでしたが、「神とともに歩んだ」(創世記6章9節)ノアですから、何がしかの方法で主にささげものをささげ、礼拝していたことでしょう。
  • 屋上の間で…イエス様の復活、昇天からペンテコステまでの間、使徒たちはエルサレムにある屋上の間で心ひとつにして祈っていました。大麦の束を神殿の祭司にささけげることはしなかったと思いますが、オメルを数えて覚えていたと思います。そしてオメルの第33日目には、ノアの洪水のみことばを霊想していたかも知れません。その祈りのなかでⅠペテロ3章18-22節の奥義をペテロは悟ったのかも知れません。
  • 結び…ノアの洪水の出来事に想いを馳せつつ、聖霊様の満たしのなかで祈りのときを持つことができるよう、祈ります。
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