Posted on 07/02/2017 at 18:56, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『事は成就した』(黙示録 その32)(2017.7.2)

 

第七の御使いが鉢を空中にぶちまけた。すると、大きな声が御座を出て、聖所の中から出て来て、「事は成就した。」と言った。(ヨハネ黙示録16章17節)

  • はじめに…先週、私の勤めるデイサービスで防火避難訓練をしました。訓練の最後に総評をする訳ですが、着ている衣服に火がついたときには、どのようにして火を消したらよいか?ということで、床(地面)に寝転がって火を消すというお話をしました。立ったままだと気道に火と煙が入って火傷し、呼吸困難になってしまうリスクがあるからです。火災を出さないということが大前提ですが、万が一のための訓練は大切です。
  • 7つの鉢のさばき…ヨハネ黙示録16章は、“7つの鉢のさばき”の預言です。第1の鉢=悪性の腫物/第2の鉢=海が血となる/第3の鉢=川・水源も血となる/第4の鉢=太陽で焼かれる/第5の鉢=獣の国が暗黒になる/第6の鉢=ハルマゲドンに王たちが集められる/第7の鉢=空中に注がれ、かつてない大地震
  • 事は成就した…第7の鉢が空中に注がれたとき、「大きな声が御座を出て、聖所の中から出て来た」と今日のテキストで語られています。この“大きな声”は、誰の声でしょうか? もちろん父なる神の声です。なぜなら黙示録15章8節で、「聖所は神の栄光と煙で満たされ、だれもはいることができなかった」とあることから、主の他、誰もいないことが分かります。そして主は、「事は成就した」と言ったのです。“言った”とサラリと書かれてありますが、ヘブル語では、“嘆いた”という意味のことばになっています。最初、わたしは「事は成就した」というのは、将棋で言えば「王手!」というような胸のすくような勝利宣言だろうと勝手に思っていましたが、実はそうではなかったのです。主は決して罪悪に対する断罪、裁きを目的にしているのではなく、どこまでも悔い改めと新しい生命を望んでおられる方なのです。頑なな心を嘆きつつ、やむなく最期の一手を指したのです。私たちに求められるのは主の前にひれ伏すことです。
  • 嘆く…ダビデも、そしてイエス様も嘆きました。父なる神は嘆きを深く知っておられる方です。私たちの嘆きを聞いて下さいます。ご自身、嘆きつついやしをなし、救いの御業をなされます(マルコ福音書3章5節参照)。
  • 結び…嘆きを知っておられる愛の主に、栄光がとこしえにありますように。
Posted on 06/25/2017 at 17:22, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『モーセの歌と小羊の歌』(黙示録 その31)(2017.6.25)

 

彼らは、神のしもべモーセの歌と小羊の歌とを歌って言った。「あなたのみわざは偉大であり、驚くべきものです。主よ。万物の支配者である神よ。あなたの道は正しく、真実です。もろもろの民の王よ。」(ヨハネ黙示録15章3節)

 

  • はじめに…「これは不思議な話ですが、息を引き取る瞬間、私は見てました。そのとき、これは本当に不思議なんですが、『愛してる』と言って、彼女が…その一言を言って、…本当にそれでそのまま旅立ちました」。小林麻央さんが闘病生活の末に亡くなったことの記者会見で市川海老蔵さんが語っていました。
  • 愛している…“愛”という言葉を使うことに対して、抵抗感を抱き、別の言葉に言い替える人があります。特に知的なクリスチャンに多く見られる傾向のように感じます。けれども小林麻央さんの語った最期の言葉は、静かで、しかも力強く、真実です。創造の主も、イスラエルの民に対して(もちろん私たち一人ひとりに対して)、「わたしはあなたを愛している」(イザヤ43章4節)と語られました。今も語っておられます。
  • 賛美…天地を造られた神様は、どのように愛してくださっているのでしょうか? 私たちを世界の基の置かれる前からキリストのうちに選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされ、ご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられます(エペソ1章4-5節)。エデンの園にアダムを置かれ、助け手のエバを与えられたように、出会いの祝福を用意しておられます。エジプトの奴隷生活から解放してくださり、荒野生活を恵みで導いてくださったように困難のなかから解放してくださいます。背信の罪を犯した後も、「罪を思い出さない」と語られ、罪を赦してくださったように、十字架で贖いとなってくださり、永遠のいのちを与えてくださいました。その愛の神様を、モーセの歌と小羊の歌(黙示録15章3-4節、出エジプト15章、申命記32章)をもって賛美し礼拝する新天新地を備えてくださっています。それは“偉大”で“驚くべき”ものです。いまだかつて経験したことのないような出来事を、天において準備してくださっています。
  • 結び…いまだかつて誰も経験したことのない愛に満ちた御国を望み見ながら、祈りと賛美をもってこの一週間を歩まれる皆さんであるよう、祈ります。
Posted on 06/19/2017 at 19:37, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『新しい歌を歌う』(黙示録 その30)(2017.6.18)

 

彼らは、御座の前と、四つの生き物および長老たちの前とで、新しい歌を歌った。しかし地上から贖われた十四万四千人のほかには、だれもこの歌を学ぶことができなかった。(ヨハネ黙示録14章3節)

 

  • はじめに…先週、思いがけず良い知らせが来ました。私の青年時代からの友人からの婚約の知らせでした。この知らせを聞いた瞬間、五十肩の痛みも、どこかへ吹っ飛んで行きました。
  • 慰めの章…12章、13章では、サタンと二匹の獣、すなわちこの世の政治勢力(反キリスト)と偽宗教(偽預言者)による迫害の光景が記されており、14章に入ると、まったく別の光景に変わります。それは聖徒にとって大いに慰めと確信を得られるものとなっています。いつまでも続くか想像もつかない患難の中で、一条の光明が差し込んで来ます。これは現在の日本、そして世界の政治経済の先が見えない不透明な未来に対しても、悲観することなく希望を持って生きられるメッセージでもあります。「ひとりの御使いが(…)永遠の福音を携えていた」(黙示録14章6節)と使徒ヨハネは告げています。目に見える現実がどんなに不安定であっても、徐々に悪化の一途をたどっていたとしても、福音、すなわち主の“良きおとずれ”は永遠に変わらないのです。
  • 額のしるし…今日のテキストで「贖われた十四万四千人」の聖徒が“新しい歌”を歌ったわけですが、贖いの証明は、その額に押されたしるし(印)でした。『顔ニモマケズ』(水野敬也著)という本があります。病気の症状が顔に出た9人に対するインタビュー形式で書かれてあるものですが、それぞれが「見た目」と折り合いをつけながら、充実した幸いな人生を歩んでいることが書かれています。皆さんそれぞれに共通することは、外に出ること、居場所を見つけること、夢中になれるものを見つける、悩みは「自分のためになるもの」ととらえることで乗り越えられる等々、です。その変えることのできない現実のなかで、それぞれ大切な“出会い”が与えられています。みことばなら「求め続けよ、探し続けよ、門をたたき続けよ」ということでしょう。患難のなかで生き続けるとき、必ず救いの扉が開かれます。
  • 結び…キリスト者として感謝と喜びと希望を持って“人生讃歌”を歌いながら、この一週間、主の栄光を現わす皆さん一人ひとりであるよう、祈ります。
Posted on 06/11/2017 at 21:14, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『生きるも死ぬもキリスト』(黙示録 その29)(2017.6.11)

 

とりこになるべき者は、とりこにされて行く。剣で殺す者は、自分も剣で殺されなければならない。ここに聖徒の忍耐と信仰がある。(ヨハネ黙示録13章10節)

  • はじめに…イースター(復活)からペンテコステ(聖霊降臨)の間、ヨハネ黙示録を主題にしたメッセージは中断していましたが、本主日から再開します。前回(黙示録 その28)は、ヨハネ黙示録12章6節「女は荒野に逃げた(…)そこには神によって備えられた(=堅く立てられた、定められた)場所があった」のみことばから、敗北としか言えないような場所、私たちの今、生きている生活の座に、主なる神様の大いなるご計画と祝福があることを学びました。本主日は、その次の13章、すなわち、大患難時代の後半の3年半の預言から主のメッセージを聞きたいと願っています。
  • 二匹の獣(けもの)…13章で、二匹の獣が登場します。一匹は「海からの獣」(黙示録13章1節)、もう一匹は「地からの獣」(同11節)です。この二匹の獣は“サタン(竜)の両腕”とも言うべき存在で、この世の政治勢力(反キリスト)と偽宗教(偽預言者)です。それを数字の暗号(ゲマトリア)を用いて“666”と使徒ヨハネは告げています。終末の世では、この二大勢力によって翻弄され、惑わされ、そして崇めるようになるのです。
  • 生きること、死ぬこと…しかし、サタンとその手下に膝をかがめない聖徒に対して迫害が起こることが記されています(黙示録13章10節)。その迫害に対して、忍耐と信仰をもって、徹底して無抵抗を貫くよう、奨励されています。最近、巷で話題になっている『夜廻り猫』という漫画家・深谷かほるさん原作の8コマ漫画があります。悩んでいる人を探して夜の街をパトロールする猫・遠藤平蔵が、誰かの“涙の匂い”を察知すると、その人のもとを訪れ、あくまで寄り添って話を聞くだけで、解決はしないけれども不思議と癒されるストーリー。その137話の中の一コマに、こんなセリフがありました。「生きものは、いてくれるだけで、他の生きものの力になるんだ」。ジャンルはまったく違う内村鑑三著『一日一生』より“死は犠牲である。(…)贖罪である。死の苦痛は決して無益の苦痛ではない(…)死は実に人がこの世において為すを得る最大事業である”
  • 結び…時が良くても悪くても、御国の希望を抱く信仰者として生き、生をまっとうして死に臨む一人ひとりであるよう、祈ります。
Posted on 06/04/2017 at 20:03, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『視座を変える』(2017.6.4)

 

そこでペテロは彼らに答えた。「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。(使徒の働き2章38節)

  • はじめに…毎週土曜日は、デイで将棋を指すことになったことを先週、お話しました。昨日も11時から約30分、将棋の対局をしました。公式戦連勝記録を更新し続ける藤井くんのことも話題に上り、「今日も苦しい将棋だった。20連勝は自分の実力からすれば僥倖(ぎょうこう)としかいいようがない。今後も連勝は意識せず、一局一局大切に戦いたい」と、“僥倖”ということばを使ったことに、いたく感動されていました。わが家でも将棋ネタが話題に上ることもしばしばあり、先日は「ひふみんアイ」ということばをはじめて知りました。
  • 将棋の効用…将棋は単に暇つぶし的な「遊び」ということではなく、そこから(特に子どもが)学ぶべきことがいろいろあると言われています。ある将棋に関するコラムに書かれてあったものですが、①将棋の「3つの礼」、②「負け」から学ぶ、そして③「無言の声援者」。将棋は勝ち負けを競いながら強くなっていくこともさることながら、礼にはじまり礼に終わるといった、礼節を学ぶ機会です。相手があってはじめて対局できます。その相手に対する敬意を表す「お願いします」で始まり、「負けました」と、敗者の宣言をし、最後に「ありがとうございました」の感謝のことばで終了します。「負けました」と敗者宣言することは勇気のいることです。経済効率一辺倒の競争社会の中で、勝つことが求められ、勝つことが至上命題のように言われます。しかし、負けて成長することができるのです。なかなか「負けました」と言えずに涙する少年が、少なからずいます。しかし、その経験を通して確実にこころが成長していきます。将棋大会では声を出しての声援は禁止されています。ですから保護者は子どもの力を信じて、子どもに任せるといった無言の声援者となります。
  • 悔い改め…この将棋の「型」と信仰者としての「型」には共通点があります。主を前にして「負けました」つまり「私は罪人です」と宣言する勇気、「主よ、感謝します」という感謝、そして密かに隣人のために祈る「とりなしの祈り」。その霊性の中に聖霊様が住んでくださいます。
  • 結び…将棋界の棋士ならぬ、キリスト教会における棋士として人生の対局を一局一局、丁寧に誠実に取り組む皆さん一人ひとりであるよう、祈ります。
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