Posted on 07/11/2021 at 09:28, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『コリントでの思いがけない出会い』(イエス・キリストの生涯 その168)(2021.7.12)

ここで、アクラというポント生まれのユダヤ人およびその妻プリスキラに出会った。(使徒の働き18章2節)

  • はじめに…先週、礼拝後に、バラを見に「あいあいガーデニング」に行きました。社長さん(師匠)に以前、「カトリックの神父さんは妻帯しないけれどプロテスタントの牧師は妻帯します」と話した際、「親鸞と同じですね」と言われ、その続きを話したいと思っていました。つまりいわゆる“悪人正機説(あくにんしょうきせつ)”で「善人が救われるなら、悪人はなおさら救われないはずがない」という親鸞の教えと、「罪人を招くために来た」(マルコ2章17節)というイエス・キリストの救いの教えとは非常に似ているということです。
  • コリントへ…今日は、アテネでの宣教がある意味、不調に終わった後、そこを去り、コリントへ移動したところです。神の時と出会いとは絶妙で、ちょうどその頃、イタリヤから(追放されて)移住して来ていたユダヤ人夫妻、アクラとプリスキラに出会ったのです。しかも同じ職業の天幕作りだったのです。以前、メッセージでオリンピックのことを取り上げた際、オリンピックの参加者、観戦者が、アジア・ヨーロッパ各地から集まり、会場の外に天幕を張って野宿していたので、天幕職人の大きな収入源の一つだったとお話しました。一人でコツコツと出来るのは、きっと天幕用の皮をなめしたり、縫い合わせたり、小物のパーツを作るくらいだったでしょう。チームになることでもしかしたら天幕を張る(設置する)という仕事もできるようになったかも知れません。きっと仕事の幅は広がると同時に、宣教の幅も広がったことと思います。
  • プリスキラとアクラ…18節以降、夫妻の名の順序が逆転しています。夫妻の個性によるのかも知れません。アクラは、口数の少ない根っからの職人で、背後から支えるタイプで、率先して言葉をもってもてなしたり、慰めたり、あるいは導いたりするタイプがプリスキラだったのでしょう。伝統的な夫唱婦随ではなかったのでしょう。だからと言って婦唱夫随だった訳でもなく、お互いの持ち味を活かしあっていたのでしょう。
  • 結び…主は、私たちの思いをはるかに超えた広く長く高く深い愛のみこころをもって私たちを導いてくださっています。暗やみのただ中に光を照らしてくださり、絶望の淵に橋を架けてくださる方です。主に感謝します。
Posted on 07/04/2021 at 09:18, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『待ち合わせの場所で』(イエス・キリストの生涯 その167)(2021.7.4)

さて、アテネでふたり(シラスとテモテ)を待っていたパウロは、町が偶像でいっぱいなのを見て、心に憤りを感じた。(使徒の働き17章16節)

  • はじめに…五輪開幕まで3週間を切りましたが、コロナ禍にあって五輪参加のため来日するアスリートの方や関係者のコロナ感染が連日報じられています。国内感染者数も再び増加傾向にあり、五輪によって更なる人流増加に拍車がかかり、重症患者や命を落とす方が再び増加することが懸念されます。関係する人々が、いのちを第一に考えて行動してくれるよう願っています。
  • アテネ…今日は、ピリピ、テサロケを経て、近代オリンピック発祥の地、アテネでのパウロの宣教です。古代アテネは芸術、学問、そして哲学の中心地でした。かの有名な哲学者ソクラテスやプラトン、アリストテレスが活躍しました。パウロはそのギリシヤ文化の中心、アテネの地に足を踏み入れました。そこで目にしたものは町中に溢れる偶像の数々でした。
  • ギリシヤ思想とキリスト信仰の邂逅…パウロはまずユダヤ教の会堂で論じ、その後、町の広場で論じ合いました。そこに当時の二大哲学会派、エピクロス派(快楽主義)とストア派(禁欲主義)の人々もいて、「このおしゃべり(=さえずる者)」「外国の神々(=ダイモニオン、鬼神)を伝える者」「めずらしいことを知りたい」と、アレオパゴス(市民評議会)に連れて行きました。そこでパウロは堰を切ったように語りだしました。それは、あたかも紀元前399年に同じ場所で、ソクラテスが裁判を受け弁明をしたかのようでした。
  • 「知られない神」…多神教のギリシヤですから、その名も存在も知らないために拝み損ねている神があれば、その怒りに触れるかも知れないので、それを回避するために「知られない神々に」と刻んだ祭壇を作って拝んでいました。この背景には、ストア派に影響を与えているソクラテスの「無知の知」の思想が反映しているのでしょう。それをパウロは「宗教心にあつい」と表現しています。「あなたたちは間違っている!」と糾弾してはいません。
  • 「よみがえりの主」…そして「知らずに拝んでいるものを教えましょう」と、福音を語り始めます。それは神々に並ぶもう一人の神でもなく、神々を一つに束ねる単一神ゼウスでもなく、創造主であり、仕えられる必要もなく、いのちを与え、義をもって世界をさばく方であることを、よみがえりの主を通して証ししてくださったと語りました。
  • 結び…よみがえりの主は、人間の想像や思考の産物(偶像)でもなく、単なる神霊でもなく、受肉し、十字架に掛かられ、私たちの贖いとなり、死んで復活されたイエス様です。福音の恵みを感謝します。
Posted on 06/27/2021 at 09:45, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『喜びのライフ・クリエーター』(イエス・キリストの生涯 その166)(2021.6.27)

それから、ふたりをその家に案内して、食事のもてなしをし、全家族そろって神を信じた(御国の市民権を得た)ことを心から喜んだ(使徒の働き16章34節)

  • はじめに…コロナ禍の中で、若者と女性の自殺者が増加していることを耳にします。悩みや課題が連鎖する中で、「もう生きられない」「死ぬしかない」と、追い込まれた末に亡くなっていると言います。その人たちは①仕事を失い、②生活のために借金を重ね、それが多重債務となる中で、③家族の関係が悪化、④精神的にも追い詰められてうつ状態になる「自殺の危機経路」と呼ばれる4つの悩みや課題を抱えていたことが分かっています。パウロは叫びました。「自害(自殺)してはいけない。私たちはみなここにいる」
  • 獄中賛美…先主日は、占いの霊につかれた女奴隷をパウロが解放した出来事をみました。今日はその続きで、金儲けの途が断たれた女奴隷の主人たちにパウロとシラスは裁判のために引き出され、その訴えを聴いた長官(裁判官)たちによって、何度も鞭打たれ、そして投獄されてしまいました。この裁判で、パウロとシラスは、ローマ市民権を持っていることを明かしていません。もしその事を主張すれば、鞭打ちも投獄も避けられたでしょう。投獄されたその日の真夜中、現実的には先の見通しが立たず、また鞭打たれた痛みの中にあるにもかかわらず、ふたりは祈りと賛美を神に捧げました。神に対する祈りと賛美が、彼らのすべてであり、生きる希望そのものでした。
  • 大地震…その時、大地震が起こったのです。祈りと賛美によってこの大地震が起きたとしか言いようのない絶妙のタイミングです。パウロとシラスにとっては、この大地震は解放の出来事でした。鎖が解け、牢の扉が全部あいたのです。一方、牢の見張り番の看守にとっては、職業人生の土台が崩れる出来事でした。囚人たちを逃がしてしまったと思い「もう生きられない」「死ぬしかない」と、すぐさま剣を抜き、自殺を図ろうとしたのです。
  • 自害してはいけない!…パウロは間髪を入れず、「自害してはいけない。私たちはみなここにいる」(使徒の働き16章28節)と叫びました。パウロは看守とその家族に対する、この地上でのいのち(ビオス)を支える働き(ライフ・サポーター)とともに、主につながっている永遠のいのち(ゾーエー)の創造の働き(ライフ・クリエーター)を、ピリピで行なったのです。ルデヤ家族に続き、二組目の主にある家族(御国の市民権を持つ者)の誕生をともに喜びました。
  • 結び…御国の市民権を持つ者として、イエス様の生き様を語り、振る舞いを通して、今、窮地に陥っている隣人に心を寄せ、寄り添う一人ひとりであるよう、お祈りします。
Posted on 06/20/2021 at 08:11, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『占いの霊を引き離すイエス様』(イエス・キリストの生涯 その165)(2021.6.20)

幾日もこんなことをするので、困り果てたパウロは、振り返ってその霊に、「イエス・キリストの御名によって命じる。この女から出て行け。」と言った。すると、即座に、霊は出ていった。(使徒の働き16章18節)

  • はじめに…新型コロナウイルス感染の下げ止まりと、リバウンド(感染再拡大)による「第5波」が懸念されるなか、東京五輪が開催されようとしています。古代オリンピックの始まりは、伝染病の蔓延に困った南部ギリシャの王様がアポロン神殿で伺いを立ててみたところ、「争いをやめ、競技会を復活せよ」という啓示を受けたことが、その起源だという説があります。この霊的な背景を是とするか非とするか、立場は分かれるところですが、私としては霊的な縛りからの解放を祈ります。
  • 宗教界にて…今日の箇所は、紫布の商人ルデヤ(とその家族)の救いに続く出来事です。ルデヤの救いを“経済界”での出来事というならば、今日の占いの霊につかれた若い女奴隷の解放の出来事は、“宗教界”での出来事といえるでしょう。「占いの霊」とはギリシャ原語では「プネウマプュソーン」です。“プュソーン”は、ギリシア神話に登場する巨大な蛇の怪物を指しています。冒頭のアポロン神殿の神託所に仕える巫女(みこ)は“ピューティア”と呼ばれ、プュソーンの化身です。ですから今日の出来事は、多神教のギリシャ宗教界の一端に、唯一なるイエス様の御名、すなわち福音が食い込んで行った出来事です。福音は、暗やみの世界の支配者なる悪霊に対抗する力です(エペソ6章12節)。そのことをパウロは、古代オリンピック競技にたとえて「私は決勝点がどこかわからないような走り方はしていません。空を打つような拳闘もしてはいません。」(①コリント9章26節) と言っています。オリンピック競技に様々あるように、この世の霊的な闘いの舞台も様々あり「経済界」「宗教界」そして「政治界」があります。
  • 解放と自由…福音は、人を遠ざけるのではなく関係を妨げているサタンを遠ざける方です。そして様々な場で生活する人を、あらゆる捕われから解放し、自由にします。イエス様は、だれひとり見捨てたり、見離したりなさいません。もっとも良き者として主から創造されたかけがえのない人として愛し、祝福してくださいます。主ご自身との永遠の関係を回復し信仰に生きる者としてくださいます。
  • 結び…今週も、皆さんの持ち味を活かして、イエス様ご自身が解放の御業をなしてくださることを信じ、感謝します。
Posted on 06/13/2021 at 09:07, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『祈り場は霊的染め物工場』(イエス・キリストの生涯 その164)(2021.6.13)

安息日に、私たちは町の門を出て、祈り場があると思われた川岸に行き、そこに腰をおろして、集まった女たちに話した。テアテラ市の紫布の商人で、神を敬う、ルデヤという女が聞いていたが、主は彼女の心を開いて、パウロの語る事に心を留めるようにされた。(使徒の働き16章13-14節)

  • はじめに…昨日、香港での反政府デモをめぐり、無許可集会扇動罪などで服役していた民主活動家、周庭(アグネス・チョウ)さんが出所したニュースを各メディアが報道していました。チョウさんは自身のインスタグラムに一面真っ黒の画面を投稿し、「苦痛の半年がやっと終わった。とても痩せて弱ってしまったので、ゆっくり休んで体調を整えます」と書き込んでいました。
  • 祈り場…今日の箇所はアジアの西端で“まぼろし”を見たパウロと一行が、エーゲ海を渡り、ヨーロッパ(マケドニヤ)の地に到着して数日後の、ピリピにおける安息日の出来事です。イエス様もパウロも、安息日にはユダヤ人の会堂(シナゴーグ)に入って教えられましたが、ピリピにはまだ会堂はなかったようです。そこで“祈り場(בֵּית הַתְּפִילָּה) ”がありそうな川岸を探すと、そこに女性たちが集まっており、その中に、紫布の商人ルデヤもいました。そこでパウロはヨーロッパで最初の福音宣教を語ったのです。
  • 紫布…「紫布」ですが、今年1月、イスラエル南部の砂漠地帯にある遺跡で、鮮やかな紫色の羊毛が発見され、今から約3000年前の紀元前10世紀ごろ、つまりダビデ王やソロモン王の時代に、地中海の巻き貝から採った染料の「貝紫(かいむらさき)」で染められていることが分かったそうです。当時、染料の生産地はフェニキアの都市ツロ(ヘルモン山の西約50キロ)です。きっとそこからテアテラまで染料を運び、そこの染め物工場で布染めした「紫布」に加工、そしてピリピまで運んで商売していた商社の社員がルデヤだったと言えます。テアフラで染め物職人として下積み生活を送り、その働きぶりが評価され、ピリピの商店主に登用されたのでしょう。故郷テアテラには太陽神を祭る土着信仰、ピリピもギリシャ・ローマの宗教文化的影響が絶大でした。しかしリデヤはそのような環境の中にあっても染まることはありませんでした。祈り場で“創造主”との親密な関係を保ち続けていました。そこでパウロの口を通して語られる福音によって心開かれ(open mind)、内側深くイエス様のいのちに染められたのでした。ピリピ教会の初穂となりました。
  • 結び…どんなに世の大波に揉まれても、忠実に祈る小さな祈りの集いに、主は目と心を向けてくださり、平安で満たしてくださるお方です(ピリピ4章6-7節)。
アーカイブ ログイン お問い合わせ