Posted on 08/16/2020 at 15:50, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『みことばのエピセンター』(イエス・キリストの生涯 その121)(2020.8.16)

主のことばがあなたがたのところから出て、マケドニアとアカイアに響き渡っただけでなく、神に対するあなたがたの信仰が、あらゆる場所に伝わっています。そのため、私たちは何も言う必要がありません。(テサロニケ人への手紙第1 1章8節)

  • はじめに…新型コロナウイルスの感染は依然、拡大し続けています。その中で“東京のエピセンター化”ということが言われています。エピセンターとは、「感染者・とくに無症状の感染者が集まり、感染が持続的に集積する地域」のことです。もともとは地震の際に使用される言葉で、震源の真上の地点「震央」のことです。最も影響の大きいと言われている場所のことです。
  • 再臨待望…テサロニケ教会は、パウロの第二伝道旅行の際、わずかに3週間の宣教によって創設された教会でした(使徒の働き17章2節参照)。たった3週間しか宣教活動ができなかったのは、ユダヤ人たちによる迫害があったからでした。パウロたちは後ろ髪を引かれる思いでテサロニケの地を離れざるを得ませんでした。それでも宣教の成果は大きく、模範的な教会に成長しました。ただテサロニケ教会の信徒の大多数は異邦人(ギリシヤ人)でした。ゆえにギリシヤ的な生活環境に取り囲まれていました。ですから容易にギリシヤ的な思考、振る舞いへと“先祖返り”してしまう危険性があり、事実、そうなっていったのです。徐々に中心軸がずれ、歪んだりしてきたようで、それを元通りに調整するために書かれたのがこのテサロニケ人への手紙です。第1章はその中心軸が何だったのかが書かれています。それは“再臨”の待望です。
  • 生けるまとこの神への立ち返り…テサロニケの人々は、パウロの第二伝道旅行における宣教を聞き、生命のない、誤りの神、すなわち偶像から、生けるまことの神の実在と、その愛と目的(イエス様が私たちを新天新地に迎え入れ永遠に主との霊的な交わりのなかで生きること)を悟り、立ち返ったのです。すなわち救い主イエス様の再臨を確信し、その確信ゆえに忍耐し労苦し、苦難のなかにあっても聖霊による喜びで生き生きと輝いて生きていたのです。その生き様がテサロニケの地から四方八方へ、その信仰が響き渡ったのです。
  • 聖なる者として…それは神に愛され、神に選ばれている生き方、すなわち“聖別”された生き方でした。世や偶像に感化されない生き方、たとえれば海の中を自由に泳ぐ魚は、塩気を内に含まないのと同様です。その背後にはイエス様ご自身の私たちに対するとりなしの祈りがあります。「聖なる父。あなたがわたしに下さっているあなたの御名の中に、彼らを守ってください」(ヨハネ福音書17章11節)。
  • 結び…聖なる御名で守って下さっているイエス様に感謝します。
Posted on 08/09/2020 at 15:39, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『常祷・援祷・苦祷』(イエス・キリストの生涯 その120)(2020.8.9)

たゆみなく祈りなさい。感謝をもって祈りつつ、目を覚ましていなさい。(コロサイ人への手紙4章2節)

  • はじめに…原爆が投下されてすぐに救護活動に参加した医学生の濱清(はま きよし・故人)氏は、当時を回想して次のように述べています。「(救護活動を行った)山里地区は浦上天主堂に近いキリシタンの里で、負傷者の多くはカトリック信者の方々でした。(…)全身に真白に軟膏を塗られ、ほとんど身動きも出来ないほど衰弱しきった人たちが、夕方になるといっせいに身を起こしてタベの祈りを捧げる光景がうす暗い病室の中に見られました。そうしてその人たちも2~3日の間につぎつぎに死んでいきました。言葉に言い表しようのない哀しみと、この人たちをこのような残酷な目に会わせることを許し、しかもなお祈りの対象となっている彼らの神に対し深い怒りを感じたのを記憶しております。(…)あの祈りの姿に、すべてを奪われた人間に遺されたただ一つの尊厳の姿を見たのかもしれない(人間の犯した罪に対する謝罪の祈り(とりなし)だったのではないか)と思い至ったのは年月を経てからのことでした。」
  • 常祷…パウロはコロサイの教会の人たちに「たゆみなく祈りなさい」(コロサイ4章2節)と勧めています。“常に祈れ”ということです。祈りは“霊の呼吸”です。祈りが途絶えるとき、私たちの霊は窒息し、死んでしまいます。しかも“感謝をもって祈れ”と。要求ばかりの祈りをしていないか、問われます。
  • 援祷…また、「私たちのためにも祈ってください」(同3節)と、祈りの応援を要請しています。私たち自身の祈りと隣人の祈りが合わさることで、キリストの奥義、教会の奥義の門が開かれるのです。奥義とはユダヤ人と異邦人がともに救いに与るということです。開いてくださるのは主ご自身です。
  • 苦祷…そして「エパフラスが、(…)あなたがたのために祈りに励んでいます」(同12節)と、パウロは同労の祈りの働きを明らかにしています。エパフラスはコロサイ教会の人たちの信仰と愛をパウロに伝えました(同1章7-8節)。“励む”は“力を尽くす”“苦闘する”という意味です。“苦祷”する力は自力ではなく「うちに力強く働くキリストの力」(同29節)です。あの被爆者の尊厳を保ち、夕べの祈りに導いた、主の力です。
  • 結び…私たち一人ひとりを愛の帯でしっかり結び、それぞれの場所にあって、常祷、援祷、苦祷しつつ、平和の主なるイエス様の身体として、日々新しく成長させて下さる全能の主に感謝します。
Posted on 08/02/2020 at 18:03, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『上にあるもの』(イエス・キリストの生涯 その119)(2020.8.2)

こういうわけで、あなたがたはキリストとともによみがえらされたのなら、上にあるものを求めなさい。そこでは、キリストが神の右の座に着いておられます。上にあるものを思いなさい。地にあるものを思ってはなりません。(コロサイ人への手紙3章1-2節)

  • はじめに…先週、図書館で本を借りて来て読んでいるとお話しました。その内の1冊クローニン著『天国の鍵』を読み終えました。自らの今日までの牧会の歩みと重ね合わせながら読み進めました。主人公の牧者としての在り方(キリスト教の形骸化した、あるいは律法化した教理に囚われない生き方など)に共感する部分が多くありました。
  • 上にあるものを思う…今日のテキストはコロサイ人への手紙3章です。パウロの書簡の特徴は、前半は教理について、後半は実践についての内容が記されていることです。3章からは実践部分になります。その冒頭部分で「上にあるものを求めなさい」「上にあるものを思いなさい」とパウロは勧めています。
  • 人間…ところで“人間”はギリシア語で“アンスローポス”です。語意は“上に顔を向ける者”という意味です。人間的な視点から言えば、目標を目指し、理想を追求し、希望を抱く者と言ってもいいでしょう。ところが、最初の人間、エバとアダムは、蛇(サタン)の誘惑のことばによって、食べてならいと聞かされていた目の前に麗しく実っていた善悪の知識の木の果実を取って食べました(創世記3章)。「もっと賢くなりたい」「神(の子)のようになりたい」という高い目標、理想、そして希望を、強引に自らの手元へ引き寄せ、貪欲、野望に変質してしまったのです。目標、理想、希望は奪うものではなく求めるものであって、叶うものなのです。与えられ、見出され、開かれるものです。
  • あわれみの主…そんな自己中心で自分勝手な人間に対して、創造主は決して諦めません。探し求めて御声をかけてくださいます。「あなたはどこにいるのか」(創世記3章9節)と。そして罪、咎、過ちを隠そうとする私たちに対して、強引にはぎ取って公に晒(さら)すのではなく、反対に“皮の衣”を着せてくださり、生かしてくださる方です(同21節)。皮の衣は、十字架で肉を裂かれ、血を流された贖い主イエス様の予表です。その主が天から降って来られ、「あなたはどこにいるのか」と御声をかけ、懐(ふところ)に招いておられます。上にあるもの、それは尽きることのない主の愛です。
  • 結び…私たちに対する愛ゆえに十字架に掛かられ、救いの御業を成就してくださった主に、栄光がありますように。
Posted on 07/26/2020 at 19:04, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『十字架で裂かれた体=キリストの割礼』(イエス・キリストの生涯 その118)(2020.7.26)

キリストにあって、あなたがたは人の手によらない割礼を受けました。肉のからだを脱ぎ捨てて、キリストの割礼を受けたのです。(コロサイ人への手紙2章11節)

  • はじめに…コロナウイルスの感染拡大が続き、予定していた金曜日からの壱岐行きはキャンセルにしました。きっと主のご計画があったのだと信じています。それで少し時間ができたので、久しぶりに図書館で本を3冊ばかり借りて来て読んでいます。ちなみにその3冊の書名は松本元著『愛は脳を活性化する』、クローニン著『天国の鍵』『城砦』です。
  • 異端(グノーシス主義他)…パウロがこの書簡をしたためたのは、第3回の伝道旅行の際、エペソに約3年間滞在した間に信仰に入り、コロサイ教会の基礎を築いたエパフラスが、教会に異端が入ってきたことで、獄中にいたパウロに相談に来たことがきっかけでした。ユダヤ教に逆戻りしようとするものであったり、禁欲主義的なものであったり、ギリシャ思想哲学(霊肉二元論)によるものだったりしたようです。それらに対してパウロは、「キリストのうちに、知恵と知識との宝がすべて隠されている」(コロサイ2章3節)と、真理はキリストにあり、キリストにしっかり結び付くよう勧めています。
  • キリストの割礼…今日のテキストは、“割礼”に関することです。割礼はユダヤ人にとっては重要な儀礼です。神様との契約のしるしであり、祭り(過越し)参加の権利を得る手段、清め、救いの手段と考えられています(創世記17章10節、出エジプト12章48節他参照)。ゆえにユダヤ人は、安息日においてさえ、割礼(による潔め)を行っていました。しかしパウロは人の手による形式的な割礼を絶対的に重要なこととは考えておらず、イエス様が十字架で肉を裂(割)かれた贖いの御業を“キリストの割礼”として最も重要なこととして伝えています。まことの真実であり、かつ霊的であるイエス様の贖いの十字架こそが、真の割礼、唯一の救いの手立てだ、そうパウロは語っているのです。イエス様ご自身も、割礼について、安息日との関連で言及しています(ヨハネ福音書7章14-24節参照)。教えや振る舞いが、神から出たものか、それとも人からのものか、その見極めは、神の御旨と信ずるところを行なおうと願うことだとイエス様はおっしゃいました(同17節)。そうするとき、私たちは自分自身の無力さと罪深さとを体験します。結果、イエス様の十字架の贖いの御業に与るより外に救いの道がないことを私たちは知らされます。
  • 結び…私たちに対する愛ゆえに十字架に掛かられ、救いの御業を成就してくださった主に、栄光がありますように。
Posted on 07/19/2020 at 14:11, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『暗闇から光の中へ』(イエス・キリストの生涯 その117)(2020.7.19)

御父は、私たちを暗闇の力から救い出して、愛する御子のご支配の中に移してくださいました。(コロサイ人への手紙1章13節)

  • はじめに…藤井聡太さん(棋聖)が史上最年少の17歳11カ月で将棋タイトルを獲得後に揮毫したことばは「探究」。「将棋は本当に難しいゲームで、まだまだ分からないことばかり。これからも探究心を持って盤上に向かっていきたい」と更なる高みを目指していました。”ひふみん”こと加藤一二三九段(クリスチャン)もツイッターで、藤井新棋聖の誕生を「史上最年少戴冠の偉業達成 心より御祝い申し上げます」と祝福していました。重苦しい世界のただ中にあって、未来への希望を与えてくれる明るいニュースでした。
  • 感情をコントロールする…加藤一二三さんは、著書『感情の整理術123(ひふみ)』の中で、こんなことを言っています。「人間はみんな「自然感情」をもっています。たとえば怒り。場合によっては嫉妬もあるでしょう。そういうごく自然に浮かんでくる感情をいかにコントロールするかということが大切。自然感情が湧くままに、赴くままに生きたとしたら、必ず失敗します。たとえば、怒るようなことがあったとしても、「待てよ」と一度、相手の立場に立ってみる」「人間の言葉というものは、ときに冷酷な、ほんとうに無慈悲な言葉とかすごい言葉は、相手を殺すといわれていますから。人間の言葉によって死んだ数が、戦争で兵隊が死んだ数よりも多い。やはりいかなることがあっても、相手の人格否定はダメですね」
  • 広大無辺の書…今回、コロサイ人への手紙を前にして宇宙大のスケールに圧倒されて、ことばが無いというのが正直なところです。一人の老境に入った伝道者が不自由な獄中で認(したた)めた小書簡の中に、圧倒的な主の愛、力が凝縮されていて、開いたとたんに止めどもなく溢れ出す、そんな感じです。溢れる愛と力によって万物を創造された主が、暗闇に迷い込み、圧し潰されかかった私たちを救い出し、新しい歩みを始められるように広く温かいイエス様の懐に包んでくれている、その事実、真実を確信させてくれます。当時のコロサイに生きた聖徒たち同様、時間を超え、歴史を経て、今、ここに集まっている私たち一人ひとりの祈りをも聴かれるイエス様の内に生かされているのです。ゆえに主から力を与えられ強められ、更なる探求心を持って、かつ自らをコントロールして、それぞれの課題にチャレンジし続けたいと思います。「求める者は受け、探(捜)す者は見つけ、たたく者には開かれる」(マタイ7章7-8節)とイエス様は約束して下さっているのですから。
  • 結び…イエス様の広く温かい懐の中で、喜び楽しみながら輝いて生きる人生の舞台が一人ひとりに備えられていることを感謝します。
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