Posted on 03/05/2017 at 19:17, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『神によって備えられた場所(黙示録 その28)』(2017.3.5)

女は荒野に逃げた。そこには、千二百六十日の間彼女を養うために、神によって備えられた場所があった。(ヨハネ黙示録12章6節)

  • はじめに…私たちがいとすぎで牧会を始めてから今月末で丸7年が終わります。これまでの道のりは長かったような、短かったような…。ただ主の守りと導きがあったことは確信しています。
  • 南アフリカ…私たちが韓国から日本に帰って来て、しばらく東京の教会に仕えていたことがあります。そのときベトナムへ行く機会があり、そこでセミナーがあり、講師が南アフリカで伝道していた韓国の牧師でした。その教会は“橋の下教会”という名称でした。その先生のあり方に共感を覚え、何か協力したいという願いが与えられていまたが、頓挫したままになっていました。そこに過日、Mさんご夫妻がいとすぎ教会を訪ねてくださり、ご主人が南アフリカ出身とのことで、再び、南アフリカが身近になりました。
  • 7人の登場人物…さて今日は黙示録12章からみことばを聞きます。12章から13章にかけて大患難時代の後半の3年半に登場する7人の者があります。①太陽を来た一人の女(12章1節)、②女の産んだ男の子(同5節)、③残りの者(同17節)、④天使長ミカエル(同7節)、そして⑤赤い竜(同3節)、⑥海から来た獣(13章1節)、⑦地から来た獣(同11節)。その中で、一人の女に焦点を当てて、聖霊様にみことばの奥義を照らして頂きたいと思います。
  • 女は男の子を産んだ…「女」とは誰で、また「男の子」とは誰でしょうか? そしてこのみことばは何を意味しているのでしょうか? 具体的には、「女」はイスラエル(霊的には旧約と新約を貫く神の教会)です。「男の子」はキリストです。そしてこれは旧約の預言の成就です(イザヤ7章14節、詩篇2篇8-9節参照)
  • 荒野に逃げた…「女は荒野に逃げ」ます。“走って逃げる”が原意ですから、敗走しているかのように見えます。しかし、その荒野には、「主が備えられた(=堅く立てられた、定められた)場所があった」と、みことばは告げています(出エジプト14章5節、ミカ4章1節、ヨハネ14章2節参照)。この世的には敗北のように見えても、今、私たちの立っているところに、主の大きなご計画と祝福があります。
  • 結び…新しい月も、心騒がすことなく、主にある平安の中で過ごし、その生き様を通して主を証しする皆さんでありますように。
Posted on 02/26/2017 at 19:19, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『続・二人の証人(黙示録 その27)』(2017.2.26)

しかし、三日半の後、神から出たいのちの息が、彼らにはいり、彼らが足で立ち上がったので、それを見ていた人々は非常な恐怖に襲われた。(ヨハネ黙示録11章11節)

  • はじめに…朝、出勤するとき、いつも夜が明け染める空を見上げます。ここ数日、天気が良いので、美しい月を見て、主の創造の御業と、歴史に想いを馳せています。そして今日は“新月”、すなわち月が見えない日です。ユダヤの暦は、月の第1日目は、この新月から始まりますから、今日から新しい月(アダル)になる訳です。すると、あと2回、満月を迎えた次の主日が“イースター”です。主イエス様の復活を記念する日です。ちなみにアダルの月には“プリム祭”があります。
  • 祭司の務めをまっとうする力…さて、今日は黙示録11章のみことばの後半です。先主日は、二本のオリーブの木、二つの燭台が意味するところを学びました。すなわち、二人の証人は、祭司・預言者としての働きを担う者であって、その働きは自力では出来ず、無限の聖霊の油注ぎによって、働きをまっとうする力が与えられるということでした。参照聖句は、ゼカリヤ書4章6節「権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって」でした。聖霊の力を受けて二人の証人は、その1260日間(すなわち3年半)の務めをまっとうしました。
  • 敗北のように見えても…しかし、その結末は、「底知れぬ所から上って来る獣が、彼らと戦って勝ち、彼らを殺す」(黙示録11章7節)と、耳を疑いたくなることが書かれています。主の証し人には苦難があります。そして完全に敗北としか言えない状況もあります。けれども、そのただ中に活ける主イエス様がともにおられます。
  • 主の霊によって生きる…毎朝、祈りと深呼吸をしてから仕事に取り掛かるようにしています。祈りは霊の呼吸ですし、深呼吸は肉体を維持する呼吸です。呼吸しなければ私たちは生きられません。しかも吸ってばかりではなく、また吐いてばかりでもありません。その呼気と吸気が入れ替わる瞬間、私たちは小さな“死”を体験しています。その死を超越する力は、私たち自身の中にあるのではなく、一方的な創造主の恵みとあわれみにあります。そしてそれは聖霊の働きです。
  • 結び…聖霊によってみごもり、聖霊を受けてこの世で福音を語られ、生きられ、そして今も活きておられる主が、皆さんと共におられます。
Posted on 02/19/2017 at 18:50, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『二人の証人(黙示録 その26)』(2017.2.19)

 

それから、わたしがわたしのふたりの証人に許すと、彼らは荒布を着て千二百六十日の間預言する。彼らは全地の主の御前にある二本のオリーブの木、また二つの燭台である。(ヨハネ黙示録11章3-4節)

  • はじめに…先週の木曜日、蒲郡にある「ラグーナテンボス」に行ってきました。電車とバスを乗り継いで約1時間超の小旅行でした。電車の中では黙想し、バスの車窓から三河湾の海を眺めることができ、リフレッシュしました。
  • 測る…今日は黙示録11章のみことばです。ヨハネは主から測りざお(葦)を与えられ、聖所と祭壇(香壇)と礼拝者を測るように命じられています(黙示録11章1節)。測るのは、その結果を保存(記録・記憶)し、みこころに沿って活用することです。ここでは物理的な面というよりも霊的な内面の広さ、長さ、深さ、高さを計測するということでしょう。どれだけ主に近づき(聖所)、絶えまなく祈り(香壇)、主を敬い、自らを低くしているか(礼拝)を測り、その結果をともに味わい、感謝と喜びが絶えず溢れる世界(永遠の御国)の体験が目標だと言えます。
  • 二人の証人…きっと、その聖徒のうちから二人の証人が立てられ、主から預かったみことばをこの地上の世界の人々に向かって告げ知らせるよう、主がご計画されているのでしょう。それは将来のことでもあると同時に、現在にも適用されるでしょう。私たちは主から祭司として主から召されている者です。主に隣人のためのとりなしをする務めが与えられています。限りなく二人に近い少人数のエクレシア(呼び出された者の集まり)です。「ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいる」(マタイ18章20節)というのがイエス様の約束です。
  • 二本のオリーブの木、二つの燭台…祭司の働きは自分の力では出来ません。限界があり、いつしか力尽きてしまいます。しかし永遠に生きておられる主は無限の聖霊の油を注いで下さり、尽きない力を下さいます(ゼカリヤ4章6節)。聖霊の力をもって二人の証人は、1260日(3年半)の間、絶え間なく、夜昼問わず、主の使命をまっとうしたのです。
  • 結び…皆さん一人ひとり、祭司としての務めを無限の聖霊の力を受けてまっとうする一日一日であるよう、祈ります。
Posted on 02/12/2017 at 18:45, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『福音された奥義(黙示録 その25)』(2017.2.12)

第七の御使いが吹き鳴らそうとしているラッパの音が響くその日には、神の奥義は、神がご自身のしもべである預言者たちに告げられたとおりに成就する。」(ヨハネ黙示録10章7節)

  • はじめに…今年は2月11日が、ユダヤ暦のトゥ・ビ・シュバット「樹木の新年」と呼ばれる日です。この時期、聖都イスラエルでは、他に先立って春の到来を告げるように、アーモンドの白い花が咲きます。(また真っ赤なアネモネの花が野原一面に咲き誇ります。)ゆえにアーモンドはヘブル語で「シャケード」(=揺り起こす、目覚める、見張る)を意味します。
  • 預言者エレミヤ…ところで、アーモンドと関係の深い預言者と言えばエレミヤです。預言者としての召命を主から受けた時、「何を見ているのか」との主のことばに対して「アーモンドの枝を見ています」(エレミヤ1章11節)と答えました。主はエレミヤに「わたしのことばを実現しようと、わたしは見張っている(=ショーケード)からだ」(同12節)と語られています。つまり、春の到来を知らせるアーモンドの枝は、春(新しいいのち)を告げる主ご自身の象徴だということです。(この他にアーモンドと関連のあるものとして①アロンの杖=祭司の職務、②七枝の燭台=希望の光があります。)
  • 巻き物を食べる…今日のテキストで、ヨハネは御使いの手から巻き物を取って食べています(黙示録10章10節)。同じようにエレミヤも食べています(エレミヤ15章16節)。ヨハネが食べた小さな巻き物は、開かれていました。公開されていたものです。“公開された奥義”であり、すでに預言者に告げられており、将来、成就するものです。今日のテキストにある「告げられた」というのは直訳すれば“福音された”ということばです。将来、成就する福音とは何でしょうか? イエス様の再臨です。イエス様の再臨の希望を、使徒ヨハネは食べ、内に貯えたのです。
  • 患難と聖霊…再臨の希望が腹に落ちる、血肉となるためには苦き福音とも言える御言葉の数々、絞り出すような祈りの体験があったことでしょう。神の国に入る備えは“水と霊”(ヨハネ3章7節)、すなわち“患難と聖霊”です。
  • 結び…新しいエルサレムに愛するすべての者を迎えるために万物を保ち、福音を伝えておられる主に、感謝と喜びと賛美を捧げます。
Posted on 02/05/2017 at 16:54, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『滅びの河と生命の河(黙示録 その24)』(2017.2.5)

 

その声がラッパを持っている第六の御使いに言った。「大川ユーフラテスのほとりにつながれている四人の御使いを解き放せ。」(ヨハネ黙示録9章14節)

 

  • はじめに…先週の水曜日から風邪をひいて、土曜から日曜にかけてのメッセージの準備も危ういかも…。そんな状態でした。それで土曜は早めに床に就き、iPadで水の流れる音を聴きながら仮眠をとりました。
  • 第六のラッパのさばき…今日のテキストは第七の封印が解かれ、神の御前に立つ七人の御使いそれぞれラッパを持っており、そのラッパを御使いが順に吹き鳴らす度に、次々とさばきの出来事が起こる訳ですが、その第六のラッパです。このラッパが吹き鳴らされると、祭壇の四隅の角から声がしたのをヨハネは聞きました。「大川ユーフラテスのほとりにつながれている四人の御使いを解き放せ」
  • 滅びの河…ユーフラテスのほとりに“つながれていた”四人の御使いの使命は、人類の三分の一を殺すことです。どんなに正当な理由があったとしても、人を殺すという行為が許可されるというのは、心情的には受け入れ難いことです。しかしサタンの支配する王国の結末は、堕天使(悪の天使)によって罪人(悪人)が裁かれる世界だということです。「天に唾する」道理です。ユーフラテス川は、トルコ北東部の山地を源流としてペルシャ湾に注ぐ全長2780キロに及ぶ大河です。ユーフラテスが氾濫し、大水が押し寄せるように騎兵の軍勢2億が襲い掛かって来るのです(黙示録9章16節、イザヤ8章7-8a節参照)。ユーフラテスは“滅びの河”の象徴なのです。
  • 生命の河…ユーフラテスの大河に対して、イザヤは“シロアハ”の水を引き合いにしています(ヒゼキヤトンネル(ギホンの泉からシロアムの池まで)は全長533メートル)。それは生命の源、神の恵みの源、つまり“生命の河”です(ヨハネ7章37-38節、同9章7節参照)。そして黙示録22章で使徒ヨハネは、神の都の中央に「いのちの水の川」と「いのちの木」(黙示録22章1-2節参照)を見ています。
  • 結び…確かに恵みの主は、私たちに「いのちの水の川」「シロアハの水」そして「いのちの木」を与えて下さり、日々、生命を支え、いやしの御業を成し、ご自身の栄光を顕しておられます。
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