Posted on 02/19/2017 at 18:50, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『二人の証人(黙示録 その26)』(2017.2.19)

 

それから、わたしがわたしのふたりの証人に許すと、彼らは荒布を着て千二百六十日の間預言する。彼らは全地の主の御前にある二本のオリーブの木、また二つの燭台である。(ヨハネ黙示録11章3-4節)

  • はじめに…先週の木曜日、蒲郡にある「ラグーナテンボス」に行ってきました。電車とバスを乗り継いで約1時間超の小旅行でした。電車の中では黙想し、バスの車窓から三河湾の海を眺めることができ、リフレッシュしました。
  • 測る…今日は黙示録11章のみことばです。ヨハネは主から測りざお(葦)を与えられ、聖所と祭壇(香壇)と礼拝者を測るように命じられています(黙示録11章1節)。測るのは、その結果を保存(記録・記憶)し、みこころに沿って活用することです。ここでは物理的な面というよりも霊的な内面の広さ、長さ、深さ、高さを計測するということでしょう。どれだけ主に近づき(聖所)、絶えまなく祈り(香壇)、主を敬い、自らを低くしているか(礼拝)を測り、その結果をともに味わい、感謝と喜びが絶えず溢れる世界(永遠の御国)の体験が目標だと言えます。
  • 二人の証人…きっと、その聖徒のうちから二人の証人が立てられ、主から預かったみことばをこの地上の世界の人々に向かって告げ知らせるよう、主がご計画されているのでしょう。それは将来のことでもあると同時に、現在にも適用されるでしょう。私たちは主から祭司として主から召されている者です。主に隣人のためのとりなしをする務めが与えられています。限りなく二人に近い少人数のエクレシア(呼び出された者の集まり)です。「ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいる」(マタイ18章20節)というのがイエス様の約束です。
  • 二本のオリーブの木、二つの燭台…祭司の働きは自分の力では出来ません。限界があり、いつしか力尽きてしまいます。しかし永遠に生きておられる主は無限の聖霊の油を注いで下さり、尽きない力を下さいます(ゼカリヤ4章6節)。聖霊の力をもって二人の証人は、1260日(3年半)の間、絶え間なく、夜昼問わず、主の使命をまっとうしたのです。
  • 結び…皆さん一人ひとり、祭司としての務めを無限の聖霊の力を受けてまっとうする一日一日であるよう、祈ります。
Posted on 02/12/2017 at 18:45, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『福音された奥義(黙示録 その25)』(2017.2.12)

第七の御使いが吹き鳴らそうとしているラッパの音が響くその日には、神の奥義は、神がご自身のしもべである預言者たちに告げられたとおりに成就する。」(ヨハネ黙示録10章7節)

  • はじめに…今年は2月11日が、ユダヤ暦のトゥ・ビ・シュバット「樹木の新年」と呼ばれる日です。この時期、聖都イスラエルでは、他に先立って春の到来を告げるように、アーモンドの白い花が咲きます。(また真っ赤なアネモネの花が野原一面に咲き誇ります。)ゆえにアーモンドはヘブル語で「シャケード」(=揺り起こす、目覚める、見張る)を意味します。
  • 預言者エレミヤ…ところで、アーモンドと関係の深い預言者と言えばエレミヤです。預言者としての召命を主から受けた時、「何を見ているのか」との主のことばに対して「アーモンドの枝を見ています」(エレミヤ1章11節)と答えました。主はエレミヤに「わたしのことばを実現しようと、わたしは見張っている(=ショーケード)からだ」(同12節)と語られています。つまり、春の到来を知らせるアーモンドの枝は、春(新しいいのち)を告げる主ご自身の象徴だということです。(この他にアーモンドと関連のあるものとして①アロンの杖=祭司の職務、②七枝の燭台=希望の光があります。)
  • 巻き物を食べる…今日のテキストで、ヨハネは御使いの手から巻き物を取って食べています(黙示録10章10節)。同じようにエレミヤも食べています(エレミヤ15章16節)。ヨハネが食べた小さな巻き物は、開かれていました。公開されていたものです。“公開された奥義”であり、すでに預言者に告げられており、将来、成就するものです。今日のテキストにある「告げられた」というのは直訳すれば“福音された”ということばです。将来、成就する福音とは何でしょうか? イエス様の再臨です。イエス様の再臨の希望を、使徒ヨハネは食べ、内に貯えたのです。
  • 患難と聖霊…再臨の希望が腹に落ちる、血肉となるためには苦き福音とも言える御言葉の数々、絞り出すような祈りの体験があったことでしょう。神の国に入る備えは“水と霊”(ヨハネ3章7節)、すなわち“患難と聖霊”です。
  • 結び…新しいエルサレムに愛するすべての者を迎えるために万物を保ち、福音を伝えておられる主に、感謝と喜びと賛美を捧げます。
Posted on 02/05/2017 at 16:54, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『滅びの河と生命の河(黙示録 その24)』(2017.2.5)

 

その声がラッパを持っている第六の御使いに言った。「大川ユーフラテスのほとりにつながれている四人の御使いを解き放せ。」(ヨハネ黙示録9章14節)

 

  • はじめに…先週の水曜日から風邪をひいて、土曜から日曜にかけてのメッセージの準備も危ういかも…。そんな状態でした。それで土曜は早めに床に就き、iPadで水の流れる音を聴きながら仮眠をとりました。
  • 第六のラッパのさばき…今日のテキストは第七の封印が解かれ、神の御前に立つ七人の御使いそれぞれラッパを持っており、そのラッパを御使いが順に吹き鳴らす度に、次々とさばきの出来事が起こる訳ですが、その第六のラッパです。このラッパが吹き鳴らされると、祭壇の四隅の角から声がしたのをヨハネは聞きました。「大川ユーフラテスのほとりにつながれている四人の御使いを解き放せ」
  • 滅びの河…ユーフラテスのほとりに“つながれていた”四人の御使いの使命は、人類の三分の一を殺すことです。どんなに正当な理由があったとしても、人を殺すという行為が許可されるというのは、心情的には受け入れ難いことです。しかしサタンの支配する王国の結末は、堕天使(悪の天使)によって罪人(悪人)が裁かれる世界だということです。「天に唾する」道理です。ユーフラテス川は、トルコ北東部の山地を源流としてペルシャ湾に注ぐ全長2780キロに及ぶ大河です。ユーフラテスが氾濫し、大水が押し寄せるように騎兵の軍勢2億が襲い掛かって来るのです(黙示録9章16節、イザヤ8章7-8a節参照)。ユーフラテスは“滅びの河”の象徴なのです。
  • 生命の河…ユーフラテスの大河に対して、イザヤは“シロアハ”の水を引き合いにしています(ヒゼキヤトンネル(ギホンの泉からシロアムの池まで)は全長533メートル)。それは生命の源、神の恵みの源、つまり“生命の河”です(ヨハネ7章37-38節、同9章7節参照)。そして黙示録22章で使徒ヨハネは、神の都の中央に「いのちの水の川」と「いのちの木」(黙示録22章1-2節参照)を見ています。
  • 結び…確かに恵みの主は、私たちに「いのちの水の川」「シロアハの水」そして「いのちの木」を与えて下さり、日々、生命を支え、いやしの御業を成し、ご自身の栄光を顕しておられます。
Posted on 01/29/2017 at 20:06, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『黄泉降りのキリスト(黙示録 その23)』(2017.1.29)

 

第五の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、私は一つの星が天から地上に落ちるのを見た。その星には底知れぬ穴を開くかぎが与えられた。(ヨハネ黙示録9章1節)

  • はじめに…先週、「終末時計」の時刻が、残り2分30秒になったと、メディアで報道されていました。世界の政治の右傾化、頻発する自然災害を目の当たりにすると、確かに世界が終わりに向かって突き進んでいるように感じざるを得ません。そのなかにあって私たちは、慌てたり、焦ったり不安になったりすることなく、目指すところをしっかりと心に覚えて歩むことが大事なことです。
  • きみが還る場所…先週の金曜日、『きみが還る場所』(90minutes Heaven)を観ました。交通事故で心肺停止になった牧師が、現場に居合わせた牧師の祈りと賛美に応答し、病院へ搬送。手術の末に一命を取りとめ、苦痛と空虚感との闘病生活に。150日後には自力で立ち上がるまでに回復。そして事故の出来事を語り出します。「あの日、目覚めると天国にいた」
  • 底知れぬ所…今日のテキストは、天国とは反対の“底知れぬ所”。別の言葉で黄泉とか、ハデスとか、シェオルと呼ばれるところです。そこから煙が立ち上り、いなごが出て来るのをヨハネは見ました。いなごは、額に印を押されていない人を五か月間(すなわち150日)、苦しめることを使命としていました(創世記8章3節参照)。11節にはいなごのすみかの、底知れぬ所で王として支配している御使いの名がヘブル語で「アバドン」、ギリシヤ語で「アポリュオン」だと記されています(ヨブ28章22節、箴言15章11節、同27章20節、詩篇88篇11節参照)
  • 黄泉降りのキリスト…詩篇の作者は「あなたの恵みが墓の中で宣べられましょうか、あなたの真実が滅び(アバドン)の中で」と訴えています。神様との絶対的断絶が墓であり、滅びですから、もっともな訴えです。しかし、ある意味、常識的な詩篇の作者の考えを超えて、父なる神は、子なるキリストを黄泉の深みにまで遣わされ、みことばの力によって御許へ引き寄せてくださる方です(Ⅰペテロ3章18-19節、同4章6節)
  • 結び…黒煙で煙り、先が見えないような時代ですが、そのただ中に光なるイエス様が来て下さり、無限の聖霊が黒煙を吹き払い、みことばを通して私たちの還るべき天の御国の住まいをはっきりと確信させてくださって感謝します。
Posted on 01/22/2017 at 19:39, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『禍転じて福となす(黙示録 その22)』(2017.1.22)

 

また私は見た。一羽のわしが中天を飛びながら、大声で言うのを聞いた。「わざわいが来る。わざわいが、わざわいが来る。地に住む人々に。あと三人の御使いがラッパを吹き鳴らそうとしている。」(ヨハネ黙示録8章13節)

 

  • はじめに…先週の1月17日で、阪神淡路大震災から22年が経過しました。6434人が亡くなり、30万を超える人々が避難生活を余儀なくされた未曾有の大地震でした。被災した者としては昨日のことのように思い出します。以前にもお話ししましたが、この大震災が私の献身のきっかけとなりました。
  • 第7の封印…第六の封印が小羊によって解かれたとき、地震が起こりました(黙示録6章12節)。その後、7章では、天において大歓声をあげて礼拝と賛美が捧げられる光景を使徒ヨハネは見、そして今日のテキストの8章で、最後の七巻目の封印が解かれます。そのとき、「天に半時間ばかりの静けさ」(同8章1節)がありました。審判の前の厳かな静謐です。交響曲第5番「運命」の冒頭の八分休符のようです。祈りのために聖別された時間です。それから香炉が御使いによって地に投げられ、再び地震が起こり、次々に七つのラッパが吹き鳴らされていきます。
  • 第1から第4のラッパ…植物が焼け、海が血となり、水は苦くなり、天体は光を失います。人類を取り巻く環境の三分の一が崩壊していきます。ドミノ倒しのように、あるいは核分裂のように壊れていきます。
  • 中天を飛ぶわし…粛々と事態が進んでいくなかで、一羽のわしが中空を飛びながら、「わざわいが来る。わざわいが、わざわいが来る」という大声をヨハネは聞きました(同8章13節)。有罪判決が下され、それを触れ回っているような響きがありますが、実は、ヘブル語訳聖書では、深い悲しみを表す言葉「オイ」が使われています。「悲しいかな、悲しいかな、悲しいかな」と、鳥の中の王とも言える鷲が、深く悲しんでいるのです。世の悲しみは死をもたらしますが「みこころに添った悲しみは悔いのない救いに至る悔い改めを生じさせます」(Ⅱコリント7章10節)。また、希望は失望に終わることはありません(ローマ5章5節)
  • 結び…滅びゆかんとしている魂を、主が救い出して下さるよう、祈ります。

 

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