Posted on 03/19/2017 at 21:09, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『浪費それとも愛』(2017.3.19)

 

マリヤは、非常に高価な、純粋なナルドの香油三百グラムを取って、イエスの足に塗り、彼女の髪の毛でイエスの足をぬぐった。家は香油のかおりでいっぱいになった。(ヨハネ福音書12章3節)

  • はじめに…先週、職場で認知症と、ICF(国際生活機能分類)の概念についての学びがありました。3事業所のうちのひとつの事業所は“認知症にやさしいケア”ということを特徴にしていますが、目指すべきは“認知症がやさしい社会(介護者)を創る”ということではないか、そんな思いを抱きました。現状(情報)をどう解釈するかで、生き方、関わり方がまったく違ってくる訳です。
  • 過越の祭りの6日前…さて、今日のテキストは、過越の祭りの6日前の出来事です(ヨハネ12章1節)。先週は祭りの巡礼者が誤って墓や死体に触れて身を汚して祭りに参加できなくなることを防止するために、祭りの1カ月前には墓を白く塗って備えをするということを学びました。同様に、祭りを目前にして会計係だったユダは、準備のためにいろいろと算段を巡らしていたことでしょう。
  • 何て無駄なことを…そのユダをはじめとするイエス様の弟子たちの目の前で、マリヤがナルドの香油300グラムを惜しげもなくイエス様に注いだのです。弟子たちは「なぜ、貧しい人に施さなかったのか」「何のために、こんなむだなことをするのか」(ヨハネ12章5節、マタイ26章8節)と憤慨しました。
  • 埋葬の準備をしてくれた…その弟子たちの責めに対して、イエス様は「わたしの埋葬の用意をしてくれたのです」(ヨハネ12章12節)と、マリヤの行為を解釈(意味づけ)されました。当時のユダヤの若い女性は、新婚に備えて香油を準備していました。その貴重な香油をマリヤはすべてイエス様に注いだのです。大切なものを自分のためでもなく、他者への施しのためでもなく、時期を逸することなくイエス様のために用いたのです。その愛の行為が香りとなって部屋いっぱいに満ちました。
  • 王・祭司・花婿なる主…その後、イエス様はエルサレムに入城され、群衆は「ホサナ! イスラエルの王」(ヨハネ12章13節)と叫びました。そしてイエス様は十字架で「完了した(花嫁になった/筆者私訳)」(ヨハネ19章30節)と言われ、霊を渡されました。イエス様は、十字架のあがないの愛で、すなわち花婿が花嫁を愛する愛を貫徹されたのです。(※ヘブル語で「完了した」と「花嫁」は同じ語根「カーラー」から成っている)
  • 結び…新しい週、皆さん一人ひとりの在り方を花婿の花嫁に対する愛のまなざしを持って接してくださる主がおられます。
Posted on 03/12/2017 at 19:57, by matsumoto

『神によって備えられた場所(黙示録 その28)』

 

女は荒野に逃げた。そこには、千二百六十日の間彼女を養うために、神によって備えられた場所があった。(ヨハネ黙示録12章6節)

  • はじめに…今日は満月です。どうぞ今晩、夜空を見上げて見てください。次の満月の夜が「過越しの祭」(出エジプト12章参照)、その後に来る主日(日曜日)がイースター(4月16日)となります。つまり過越しの祭りのちょうど1カ月前ということになります。
  • いじめ…昨日は「11」東日本大震災・福島第一原発事故から6年で、全国各地で追悼の集会が開催されたり、メディアで特集が組まれたりしました。少しずつ復興しつつあるとはいえ、今なお避難生活を余儀なくされている12万人超の人たちがおられます。しかし避難者に対する対応は極めて冷たいのが現実。「放射能がうつる」「帰れはいいじゃん」「賠償金もらってるんだろう」など、子ども達のいじめは深刻です。「いじめはね こころにきずが のこるんだ」。これは孫の作です。
  • 世の終わりの前兆…イエス様は、世の終わり(終末)には、地震が起こり、偽預言者が出て、人々の愛が冷たくなると語られました(マタイ24章参照)。また当時の民衆のリーダーたちに対し「白く塗った墓」(同23章27節)と言って、叱責しました。外見は美しく立派に見えるが、内心は汚れている、偽善と不法で満ちていると。
  • 白く塗った墓…ユダヤ人の墓は、毎年アダルの月の十五日(過越しの祭の1カ月前)に、石灰で白く塗る習慣があったと言われています。これは、人が知らずに墓に触れて身を汚すことのないようにするためでした。身が汚れると過越しの祭に参加できなくなるからです。
  • ラザロの墓…しかしイエス様は、過越しの祭に参加するために身の汚れを避けることが第一のことではなく、一人の人の尊厳こそが最も大切だということを、身を持って示されました。過越しの祭の前、ラザロの葬られている墓へ近づき、居合わせた人々に墓の入り口の石に触れさせ、ラザロの包帯をほどかせました。汚れを避けることではなく、イエス様のみことばに応答して汚れを乗り越える(共に生きる)ことが、真実の過越しなのです。
  • 結び…新しい週、イエス様の御声に応答し、出会う隣人の“内なる聖所”(神によって備えられた場所)に近づく皆さんであるよう、祈ります。
Posted on 03/05/2017 at 19:17, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『神によって備えられた場所(黙示録 その28)』(2017.3.5)

女は荒野に逃げた。そこには、千二百六十日の間彼女を養うために、神によって備えられた場所があった。(ヨハネ黙示録12章6節)

  • はじめに…私たちがいとすぎで牧会を始めてから今月末で丸7年が終わります。これまでの道のりは長かったような、短かったような…。ただ主の守りと導きがあったことは確信しています。
  • 南アフリカ…私たちが韓国から日本に帰って来て、しばらく東京の教会に仕えていたことがあります。そのときベトナムへ行く機会があり、そこでセミナーがあり、講師が南アフリカで伝道していた韓国の牧師でした。その教会は“橋の下教会”という名称でした。その先生のあり方に共感を覚え、何か協力したいという願いが与えられていまたが、頓挫したままになっていました。そこに過日、Mさんご夫妻がいとすぎ教会を訪ねてくださり、ご主人が南アフリカ出身とのことで、再び、南アフリカが身近になりました。
  • 7人の登場人物…さて今日は黙示録12章からみことばを聞きます。12章から13章にかけて大患難時代の後半の3年半に登場する7人の者があります。①太陽を来た一人の女(12章1節)、②女の産んだ男の子(同5節)、③残りの者(同17節)、④天使長ミカエル(同7節)、そして⑤赤い竜(同3節)、⑥海から来た獣(13章1節)、⑦地から来た獣(同11節)。その中で、一人の女に焦点を当てて、聖霊様にみことばの奥義を照らして頂きたいと思います。
  • 女は男の子を産んだ…「女」とは誰で、また「男の子」とは誰でしょうか? そしてこのみことばは何を意味しているのでしょうか? 具体的には、「女」はイスラエル(霊的には旧約と新約を貫く神の教会)です。「男の子」はキリストです。そしてこれは旧約の預言の成就です(イザヤ7章14節、詩篇2篇8-9節参照)
  • 荒野に逃げた…「女は荒野に逃げ」ます。“走って逃げる”が原意ですから、敗走しているかのように見えます。しかし、その荒野には、「主が備えられた(=堅く立てられた、定められた)場所があった」と、みことばは告げています(出エジプト14章5節、ミカ4章1節、ヨハネ14章2節参照)。この世的には敗北のように見えても、今、私たちの立っているところに、主の大きなご計画と祝福があります。
  • 結び…新しい月も、心騒がすことなく、主にある平安の中で過ごし、その生き様を通して主を証しする皆さんでありますように。
Posted on 02/26/2017 at 19:19, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『続・二人の証人(黙示録 その27)』(2017.2.26)

しかし、三日半の後、神から出たいのちの息が、彼らにはいり、彼らが足で立ち上がったので、それを見ていた人々は非常な恐怖に襲われた。(ヨハネ黙示録11章11節)

  • はじめに…朝、出勤するとき、いつも夜が明け染める空を見上げます。ここ数日、天気が良いので、美しい月を見て、主の創造の御業と、歴史に想いを馳せています。そして今日は“新月”、すなわち月が見えない日です。ユダヤの暦は、月の第1日目は、この新月から始まりますから、今日から新しい月(アダル)になる訳です。すると、あと2回、満月を迎えた次の主日が“イースター”です。主イエス様の復活を記念する日です。ちなみにアダルの月には“プリム祭”があります。
  • 祭司の務めをまっとうする力…さて、今日は黙示録11章のみことばの後半です。先主日は、二本のオリーブの木、二つの燭台が意味するところを学びました。すなわち、二人の証人は、祭司・預言者としての働きを担う者であって、その働きは自力では出来ず、無限の聖霊の油注ぎによって、働きをまっとうする力が与えられるということでした。参照聖句は、ゼカリヤ書4章6節「権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって」でした。聖霊の力を受けて二人の証人は、その1260日間(すなわち3年半)の務めをまっとうしました。
  • 敗北のように見えても…しかし、その結末は、「底知れぬ所から上って来る獣が、彼らと戦って勝ち、彼らを殺す」(黙示録11章7節)と、耳を疑いたくなることが書かれています。主の証し人には苦難があります。そして完全に敗北としか言えない状況もあります。けれども、そのただ中に活ける主イエス様がともにおられます。
  • 主の霊によって生きる…毎朝、祈りと深呼吸をしてから仕事に取り掛かるようにしています。祈りは霊の呼吸ですし、深呼吸は肉体を維持する呼吸です。呼吸しなければ私たちは生きられません。しかも吸ってばかりではなく、また吐いてばかりでもありません。その呼気と吸気が入れ替わる瞬間、私たちは小さな“死”を体験しています。その死を超越する力は、私たち自身の中にあるのではなく、一方的な創造主の恵みとあわれみにあります。そしてそれは聖霊の働きです。
  • 結び…聖霊によってみごもり、聖霊を受けてこの世で福音を語られ、生きられ、そして今も活きておられる主が、皆さんと共におられます。
Posted on 02/19/2017 at 18:50, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『二人の証人(黙示録 その26)』(2017.2.19)

 

それから、わたしがわたしのふたりの証人に許すと、彼らは荒布を着て千二百六十日の間預言する。彼らは全地の主の御前にある二本のオリーブの木、また二つの燭台である。(ヨハネ黙示録11章3-4節)

  • はじめに…先週の木曜日、蒲郡にある「ラグーナテンボス」に行ってきました。電車とバスを乗り継いで約1時間超の小旅行でした。電車の中では黙想し、バスの車窓から三河湾の海を眺めることができ、リフレッシュしました。
  • 測る…今日は黙示録11章のみことばです。ヨハネは主から測りざお(葦)を与えられ、聖所と祭壇(香壇)と礼拝者を測るように命じられています(黙示録11章1節)。測るのは、その結果を保存(記録・記憶)し、みこころに沿って活用することです。ここでは物理的な面というよりも霊的な内面の広さ、長さ、深さ、高さを計測するということでしょう。どれだけ主に近づき(聖所)、絶えまなく祈り(香壇)、主を敬い、自らを低くしているか(礼拝)を測り、その結果をともに味わい、感謝と喜びが絶えず溢れる世界(永遠の御国)の体験が目標だと言えます。
  • 二人の証人…きっと、その聖徒のうちから二人の証人が立てられ、主から預かったみことばをこの地上の世界の人々に向かって告げ知らせるよう、主がご計画されているのでしょう。それは将来のことでもあると同時に、現在にも適用されるでしょう。私たちは主から祭司として主から召されている者です。主に隣人のためのとりなしをする務めが与えられています。限りなく二人に近い少人数のエクレシア(呼び出された者の集まり)です。「ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいる」(マタイ18章20節)というのがイエス様の約束です。
  • 二本のオリーブの木、二つの燭台…祭司の働きは自分の力では出来ません。限界があり、いつしか力尽きてしまいます。しかし永遠に生きておられる主は無限の聖霊の油を注いで下さり、尽きない力を下さいます(ゼカリヤ4章6節)。聖霊の力をもって二人の証人は、1260日(3年半)の間、絶え間なく、夜昼問わず、主の使命をまっとうしたのです。
  • 結び…皆さん一人ひとり、祭司としての務めを無限の聖霊の力を受けてまっとうする一日一日であるよう、祈ります。
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