Posted on 06/12/2016 at 03:34, by matsumoto
わたしはそこであなたと会見し、その『贖いのふた』の上から、すなわちあかしの箱の上の二つのケルビムの間から、イスラエル人について、あなたに命じることをことごとくあなたに語ろう。 (出エジプト記25章22節)
- はじめに…先週8(水)から9(木)の2日間、四国松山の「シオン朝美教会」での集会で、ご奉仕させて頂きました。教会の皆さんが祈って備え、心から歓迎をして下さり、本当に尊い時間を過ごさせて頂きました。主に感謝します。
- 至聖所に安置…あかしの箱は聖所の奥の至聖所に安置されました。至聖所は「天と神のみ座」のシンボルです。主なる神が、天から降られ、人(私たち)の間に住まわれ、出会われる、臨在の場です。ここに置かれる備品のあかしの箱の制作が、一番初めに主から指示されました。つまり神の御座からすべては始まるのです。
- アカシヤ材…あかしの箱の素材はアカシヤの木でした。アカシヤの木は砂漠の中で育つ、極めて耐久性の強い木です(イザヤ53章2節a参照)。ここに主イエス様の人間性が隠されています(ヘブル書4章15節、同2章18節)。
- 純金の覆い…アカシヤ材は純金で内と外を覆いました。アカシヤ材は仲介者イエス様、外なる金は父なる神、内なる金は聖霊なる神として三位一体を現しています。そして金の飾り縁は十字架で「完了した」と宣言された王なるイエス様の力と威光を現しています。
- さとしを納める…箱の中には、さとし(あかし)、すなわち十戒を刻んだ2枚の石板を納めました。つまりキリストの身体の中、心の中に律法が保たれていることの象徴です(エゼキエル書36章26-27節参照)。それをイエス様は「わたたしがあなたがたを愛したように、互いに愛しなさい」(ヨハネ福音書13章34節)とおっしゃいました。このことは聖霊降臨において、私たちの内に成就しました。あかしの箱が私たちの内なる至聖所に置かれ、そこに聖霊様が内住されたのです。
- 結び…聖霊様が皆さんお一人ひとりの内なる至聖所に内住され、聖霊様の導きと力によって愛と恵みの律法を行い、主の栄光を輝かす一週間となるよう、祝福して祈ります。
Posted on 06/05/2016 at 05:18, by matsumoto
彼らがわたしのために聖所を造るなら、わたしは彼らの中に住む。(出エジプト記25章8節)
- はじめに…5月28日から行方不明になっていた小学2年生の男の子が、6月3日に無事発見され、「見つかったぞ」との知らせに同級生らから喜びの歓声があがったと、地元紙はじめ、全国で報じられました。今回の騒動の原因や外野の(批判的な)声はさて置き、親子の絆がいっそう固く結ばれる契機になるよう、心から願います。
- 幕屋の建設…エデンの園において罪を犯し、隠れた人間(アダムとエバ)に対して、主なる神様は「あなたはどこにいるのか」(創世記3章9節)と呼びかけられました。主なる神様は、人と(霊的に)親しく交わることを切に望んでおられる方です。アダムとエバの子孫からノア、アブラハムが生まれ、イサク、ヤコブ、ヨセフと続き、それ以後のヘブルの民はエジプトでの奴隷生活を強いられることに。主なる神様はモーセを立て、エジプトからの脱出を導かれました。それから十戒の授与、そして幕屋の建設へと続きます。
- 彼らの中に住む…主の御心は「彼らの中に住む」ということです。つまり、私たちの内側に住まわれる、ということです。そのために、まず、モーセに幕屋の建設を指示されました。この幕屋の細部に、その備品の一つひとつに、イエス様の活ける臨在が満ち溢れていることを、みことばを通して体験していければと願っています。聖書には、幕屋の建設の記事が、創造の記事よりも遥かに多くの章を割いて記されています。また、聖書に記されている最初の歌は、幕屋(御住まい)がその中心テーマになっています(出エジプト記15章)。
- 備品…幕屋の備品には、①贖いのふた、②契約の箱、③香の壇、④純金の燭台、⑤供えのパン(の机)、⑥洗盤、⑦祭壇があります。それぞれの備品がイエス様のご性質を表しています。①なだめの供え物なるキリスト、②神の臨在なるキリスト、③執りなし手なるキリスト、④真の光なるキリスト、⑤いのちのパンなるキリスト、⑥神のことばなるキリスト、⑦最高の犠牲なるキリスト(十字架のキリスト)
- 結び…モーセの幕屋の学びを通して、皆さんお一人ひとりの内に聖霊の宮が建てられて、主との絆がさらに堅固になるよう、祝福して祈ります。
Posted on 05/29/2016 at 05:04, by matsumoto
また、純金の燭台を作る。その燭台は槌で打って作らなければならない。それには、台座と支柱と、がくと節と花弁がなければならない。(出エジプト記25章31節)
- はじめに…先週27日、オバマ米大統領が、サミット後、広島を訪問し、慰霊碑に献花し所感を述べました。その後、被爆者の方と握手を交わし、ハグする感動的な場面がありました。「広島へ来て、目で見て、感じてほしい」という被爆者の切なる願いが、原爆投下から71年の歳月を経て実現しました。“核なき世界”へ向けての第一歩。
- 幕屋建設…握手とハグに象徴されるように、人と人が歩み寄り、親しく交わるのは、麗しい姿です。同様に、主(神)と人が親密に交わることが出来るなら、それに勝る喜び、安らぎは他にはないでしょう。そのために主は、幕屋の建設をモーセに指示されました(出エジプト25-27章参照)。その幕屋の器具のひとつに、純金の燭台があります。いわゆるメノラーです。その主たる目的は聖所、至聖所で大祭司が奉仕するための明かりを灯すことですが、材料、制作方法、形に秘められている霊的な意味を分かち合います。
- 純金…燭台の材料は“純金”です。その重さは約34㌔グラム。参考までに現在の金相場で計算すると約1億6千万円。純金ですから、混じり気のまったく無い金です。熱い炉の中で精錬され、不純物が取り除かれます。
- アーモンド…燭台のデザインはアーモンド(あめんどう)です。早春に他に先がけて花を咲かすことから復活を意味します。また、原語では「見張るもの」「目覚めるもの」「寝ずの番をするもの」という意味があります。
- 槌で打つ…燭台は打ち叩いて作るよう、指示されています。六つの枝が、ひとつの台座、支柱につながって一体となっています。そのために火のような試練を通され、打ち叩かれる苦痛を経験します。その結果、真っ暗な聖所と至聖所に光を灯す、聖なる道具として用いられるのです。それはイエス様の生き様であり、私たち自身の生き様です。
- 結び…試練と苦痛の証しを通して、暗闇に光を放ち、主と親密に交わる皆さんとなられるよう、祝福して祈ります。
Posted on 05/22/2016 at 02:44, by matsumoto
写真=可児市バラ園(花フェスタ記念公園ホームページより)
人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。こうして、神ご自身の満ち満ちたさまにまで、あなたがたが満たされますように。(エペソ人への手紙3章19節)
- はじめに…先週18(水)から20(金)の3日間、当教会をメイン会場にして『霊性牧会クリニック』を開催しました。参加された皆さん、それぞれ主から恵みを受けて帰路につかれました。今回、初の取り組みとして、岐阜県可児市にあるバラ園へ出かけ、美しく咲いた数万本の色とりどりの神様が創造されたバラを観賞した後、茶室『織部庵』で抹茶を頂き、その後、セミナーをしました。ウグイスの声、水の音、さわやかな風の中で聞く御言葉は、心の中に染み入るようでした。
- 神の子どものイメージ…今回のセミナーの主要テーマは、「神の子どもとしてのイメージ(意識)を持つことの大切さ」でした。崩れたイメージを持つと行動も崩れたものになります。神の子どものイメージを創るために神様は、いのちの木と善悪の知識の木を創られました。本能的イメージは(自分にとって都合の)善いもの(あるいは場所)を求めます。しかし主は、いのちの木の実を食べることを求められます。「善悪の実を食べると死ぬ」ということが神様の御言葉です。“死ぬ”というのは自意識が強くなって、神様との私たちとの関係が切れる、すなわち死ぬことになるのです。聖霊の臨在が有るか無いか、これが重大問題です。
- 内なる至聖所…至聖所(聖霊の臨在される場所)から出て来る御言葉に、たましい(知・情・意)が反応して、身体を通して現れるのが、霊的原則です。霊(内)と身体(外)は結ばれています。見えない根(父なる神)に幹がつながり、幹(イエス様)に枝がつながり、枝(私たち)に果が実り、花が咲きます。御言葉と祈りによって、内なる至聖所に聖霊の臨在が満ちてきます。神様が喜ばれる祈りが聖霊の祈り、すなわち異言の祈りです。
- 結び…私たちの内なる至聖所に聖霊様が臨在され、歩みを共にしてくださっています。祈りと御言葉によって、ますます私たちの内側をイエス様の愛で満たしてくださり、外側に輝き出してくださいます。皆さんお一人ひとり、イエス様の愛を思い、感じ、行動される一週間となることを信じ、祝福をお祈りします。
Posted on 05/15/2016 at 07:55, by matsumoto
そして毎日、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、神を賛美し、すべての民に好意を持たれた。主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった。(使徒の働き2章46-47節)
- はじめに…先週、『激動の20世紀を生きた三人のクリスチャン』というDVDを観ました。その三人は杉原千畝、清水安三、田内千鶴子。
- 韓国孤児三千人の母…田内千鶴子は、日本統治時代の韓国で孤児たちの養護施設「木浦共生園」を夫(ユン チホ)とともに立ち上げ、三千名余りの孤児たちを育て、“韓国孤児三千人の母”と呼ばれたクリスチャンです。二人の結婚は、皆が反対する中、千鶴子の母・春だけが「結婚は国と国がするものではない。人と人がするもの。神の国には韓国人も日本人もない。全て神の子どもだ」と言って励ましたそうです。
- わたしの霊をすべての人に注ぐ…ペンテコステの日、ユダヤ人たちは、弟子たちが異言で話すのを聞いて「ガリラヤの人じゃないか」「甘いぶどう酒に酔っている」(使徒の働き2章7、13節)とあざけりました。そこでペテロが立ち上がり宣教を始めました。ヨエル書を引用して『(…)わたしの霊をすべての人に注ぐ。(…)息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。その日、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。(…)主の名を呼ぶ者は、みな救われる。』(使徒の働き2章17-21節)
- ペンテコステ…旧約時代、主が、選ばれた個人(預言者、王)にのみ霊が注がれ、その後、神殿に注がれました。しかし、何れも仮の住まいですから永遠に住まうことが出来ません。そこで父なる神は、聖なる宮としての御子をこの世に遣わされ、聖霊は、御子の上に鳩のように降られたのです。そしてついに主の十字架、復活、昇天を通して、ヨエルの預言の成就として、何の区別もなく老若男女、身分も国籍も区別なく、注がれるようになったのです。主の血によって聖霊の通路が開かれたのです。そして日々、救いの御業が今日も続いているのです。
- 結び…聖霊の注ぎと内住によって、証しを立て、分かち合い、共に生きる神の子となるよう、祝福して祈ります。
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