Posted on 01/17/2011 at 22:05, by matsumoto

信仰(李天秀著・松元信行訳『牧会断想』より)

信仰とは、愛する相手にだけ該当する話である▼愛は信仰を創り、信仰は愛とひとつになるのである▼愛がない相手を信じると、誤魔化され、信仰の持続が不可能になる▼それ故、天使とか悪魔は、信仰の相手になることは不可能であり、人も同じである▼そして、人を信じると損害を被るようになり、心に傷を受けるようになる。

鼻で息をする人間をたよりにするな。そんな者に、何の値うちがあろうか。(イザヤ2:22) order quality dapoxetine online in uk at cheap price – absolute anonymity – payment with visa*mastercard*amex accepted. dapoxetine is used to treat 

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Posted on 01/16/2011 at 09:24, by matsumoto

主日メッセージ要約『共に苦しみ、共に祈り、共に喜ぶ』(2011.1.16)

今日のみことば buy doxycycline acne | usa canada uk | buy online without prescription. low prices, fast delivery and secure online processing.

神が多くの子たちを栄光に導くのに、彼らの救いの創始者を、多くの苦しみを通して全うされたということは、万物の存在の目的であり、また原因でもある方として、ふさわしいことであったのです。(ヘブル2章10節)

■はじめに…私の働いている整骨院で、来月から“足つぼマッサージ”を始めようという計画があります。それで私も院で開催する、足つぼマッサージの講習会に出席しています。足裏の部分部分が、身体の各器官に対応していて、たとえば親指の腹が「脳」、土踏まずの中央部分が「腸」といった具合です。人間の身体は不思議なほど各部分が調和しています。

self-intoxication means buy cheap lioresal self-poisoning. and believes buy baclofen online them to be the cause of a large number of pathological con- ■栄光…“栄光”についてイエス様ご自身は「あなたがわたしに下さった栄光を、彼らに与えました。それは、わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるためです」(ヨハネ17章22節)と、おっしゃいました。つまり、栄光とは、イエス様と私たちがひとつであること、ひとつの身体、“一体”であることに他なりません。

■苦しみ order generic baclofen pain reliever/muscle relaxant at our online pharmacy and save upto $30.91. save more on baclofen can be taken with or without food. …イエス様と私たちが一体であるため(目的)に、一体である(原因)からこそ、イエス様は、苦難の生涯を歩まれました。そして、最大の苦しみである十字架の死を担われました。私たちも人生の様々な場面で苦しみに遭います。病気やケガ、災難、別れ、裏切り…。しかし、その苦しみの時、ゲッセマネでイエス様が苦しみもだえ、祈られた(ルカ22章44節)ように、私たちも祈りに導かれます(詩篇18篇6節)。

■共に苦しむ…苦しみは、自分自身の苦しみだけに留まらず、隣人の苦しみをも、ともにします(Ⅰコリント12章26節)。特に弱い人に対してはことさらです。なぜなら私たち教会は、キリストの身体だからです。そして身体の各部分の苦しみのすべてを、頭なるイエス様がご自身の苦しみとして担って下さっておられます。弱肉強食の世の中にあって、キリストのからだなる教会は、共存共栄(ひとつの身体、一体)の現れです。共に苦しむ者には、真に喜びの実が約束されています。

結び…今週一週間も、キリストの身体として、共に苦しみ、共に祈り、共に喜びの実を結ぶ一週間となるよう、祝福して祈ります。

Posted on 01/13/2011 at 22:17, by matsumoto

御言葉と祈り(李天秀著・松元信行訳『牧会断想』より)

cost of zithromax at cvs zithromax online 牧会者は、御言葉と祈りの働きに成功するべきである▼御言葉は、主と信徒を繋ぐ働きであり、祈りは、自分自身を第三の天におられる主と繋ぐ働きである▼簡単に言えば、御言葉で信徒が天に向かって祈りをするようにさせるのである▼祈りは、世のことを捨てて、“内”すなわち、第三の天の世界に上っていくようにすることである(Ⅱコリ12:2-5)▼すると信徒たちを通して各種の賜物が現れ、教会を建てるようになる▼牧師は、御言葉と祈り以外にどんな善いことをしても、決して有益にはならないということを肝に銘ずることである。

私たちは、もっぱら祈りとみことばの奉仕に励むことにします。(使徒6:4)

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Posted on 01/11/2011 at 20:17, by matsumoto

異言の力(李天秀著・松元信行訳『牧会断想』より)

神の愛は、すべての臨在の内側をいのち(運動)で満たされる(Ⅱペテロ1:3)▼そして、神の愛(聖霊)の内には、私達が知らないすべての知識(知)が入っている▼これが、まさに神が先に知っておられることである(ローマ8:29)▼そして、天の国(第三の天)には、自分の身体が知らない歓喜(喜び)がある(Ⅰペテロ1:8=臨在空間、知・情・意)▼これ(神秘、秘密)を語るのが“異言”である▼異言によって第三の天を多く占有する人に、誇り(栄光)ある人生が開くのである。

there safe place buy baclofen online , buy baclofen without consultation, buy baclofen visa, order baclofen no prescription canada, baclofen 10mg order, generic 私はキリストにあるひとりの人を知っています。この人は十四年前に――肉体のままであったか、私は知りません。肉体を離れてであったか、それも知りません。神はご存じです。――第三の天にまで引き上げられました。

私はこの人が、――それが肉体のままであったか、肉体を離れてであったかは知りません。神はご存じです。――

パラダイスに引き上げられて、人間には語ることを許されていない、口に出すことのできないことばを聞いたことを知っています。

このような人について私は誇るのです。しかし、私自身については、自分の弱さ以外には誇りません。

たとい私が誇りたいと思ったとしても、愚か者にはなりません。真実のことを話すのだからです。しかし、誇ることは控えましょう。私について見ること、私から聞くこと以上に、人が私を過大に評価するといけないからです。(Ⅱコリント12:2-6) where to buy female cialis. female cialis cheap. drug female cialis online purchase. female cialis in bangkok. find female cialis without prescription.

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Posted on 01/09/2011 at 21:47, by matsumoto

異言(李天秀著・松元信行訳『牧会断想』より)

buy azithromycin canada cheap zithromax 異言は、信仰によって自己意識を否認しようとする信徒に、彼の魂を満たす奇跡を体験するようにする(Ⅱコリント12:2、3)▼しかし、自己意識を中心にして批判する人には、異言は非難と蔑視の対象のでしかなく、本当につまらないことである▼異言は、どんなにやっても、全く自意識の助けにならず、役に立たないように見えるので、多くの批判を受けるのである▼異言を批判することによって、自意識が充電されるが、これが自分にとって何の有益にもならないことを肝に銘ずるべきである(悪魔も自意識によって高慢になったが、結局、何の有益も得られなかった)(Ⅰテモ3:6)▼人の口で発する音の中で、自意識と関係ない言葉は異言だけである▼異言は、自分が主体的に語るのではなく、聖霊が語らせるままに話すことである▼そして人の口で語る言葉の中で、自分に有益を与える言葉も、異言だけである(Ⅰコリント14:4、ヤコブ3:6)。
 
buy estrace online, buy gestodene ethinyl estradiol in india, cheapest place to buy estrace cream . 異言を話す者は、人に話すのではなく、神に話すのです。というのは、だれも聞いていないのに、自分の霊で奥義を話すからです。(Ⅰコリント14:2)

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