Posted on 03/15/2020 at 15:26, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『小さなことに最善を尽くす』(イエス・キリストの生涯 その99)(2020.3.15)

そのために、私はいつも、神の前にも人の前にも責められることのない良心を保つように、最善を尽くしています。(使徒の働き24章16節)(聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会)

  • はじめに…連日、新型コロナウイルスの大流行の報道がなされています。そんな情報が氾濫する中で気が滅入ってしまいます。「コロナ疲れ」とか「コロナ鬱」とか呼ばれる症状も出ているようです。かく言う私も自分では気づかない間に随分、ストレスになっているようで、先週のオフの日に気分転換のため、(手作りのマスクをして)可児市のバラ園に家内と行きました。
  • 管理…バラ園には、一輪のバラの花も咲いていませんでした。枝は短く剪定されていて丸坊主。その丸坊主になって低くなったバラの株の下に、這いつくばって草を刈ったり、土を入れたり、管理する人たちが大勢いました。そんな地味な裏方の仕事があって、はじめて、美しく香しいバラの花が咲くことを改めて実感しました。そして自らの在りようを振り返りました。目の前にはまったくバラの花はありませんでしたが、私たちの眼前には色とりどりのバラが咲き誇っている光景が見えるようでした。今、世界、人々は彩りを失い灰色のように感じられますが、農夫であり羊飼いなる主が、私たち一人ひとりに手をかけ、ケアしてくださって、豊かに実を結ぶように備えをしてくださっています。
  • 手作りマスク…依然、マスクが手に入りにくい状況が続いています。「買うことができないなら作ろう」という動きがあちこちにあるようです。それで私たちも、布切れを折るだけの手作りマスクを自作して使っています。マスクは外からのウイルスをシャットアウトするというよりも、自分が咳をした際の飛沫を防止して、自身が感染していたとしても隣人に移さないためにしています。自分を守るためというより、他者に害を及ぼさないためです。
  • ペスト…今、『ペスト』(カミュ著)を読み直している人が多いと聞きます。街をペストが覆ったとき、人はどのように考え、どんな振る舞いをするのか、そして私たち自身は…? ということでしょう。結局のところ、自分も罹患して、他者に害悪を及ぼす可能性があり、そうしないために小さなことに最善を尽くす、それにつきると言えるでしょう。「他者を尊重するとは、他者に一歩を譲るということです。他者の顔へ接近する一つの仕方なのです。」(E・レヴィナス)。カミュは、その在りようを“紳士(淑女)”と呼びました。主イエス様も語られました。「最も小さなことに忠実な人は、大きなことにも忠実である」(ルカ福音書16章10節)
  • 結び…今週、皆さん一人ひとり、私も含めて小さなことに最善を尽くし、隣人と主に一歩、近づく歩みを始められますよう、祈ります。
Posted on 03/08/2020 at 08:50, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『JOY―喜びへの優先順位』(イエス・キリストの生涯 その98)(2020.3.8)

すると主は私に、『行きなさい。わたしはあなたを遠く異邦人に遣わす』と言われました。(使徒の働き22章21節)(聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会)

  • はじめに…先々週と先週、続けて思いがけない出来事を体験しました。ひとつは、日もすっかり落ち、事務仕事を終えようとしていた時、小柄で華奢なおばあさんが携帯片手に血相を変え事務所へ駆け込んで来ました。お孫さんが錯乱状態になって手の付けようがなくなり、救急車を呼びたいということでした。もうひとつは、送迎を終えて車内の消毒をしかかっていた時、駐車場のフェンス越しに、サングラスをかけ白杖を持った婦人から「お忙しいところすみませんが…」と道を尋ねられました。
  • なすべきこと…いずれの場合も、自分が今している仕事を中断、後回しにして対応しました。“召命”というものは、そういうものでしょう。なすべきことが一方的に向こう側からやってきて、そのことに応答することを求められるのです。もちろん自分の今やっていることを第一にして、召命を断るという選択も可能です。しかし、キリストを信じる者としての優先順位は、先の主日で、喜びの三要素JOY(Jesus Others Yourself)ということをお話しましたが、その語順がそのまま優先順位とすれば①イエス様②隣人③自分自身ということになります。その優先順位で生きる時、どのような困難な問題に突き当たっても必ずや克服でき、喜びに溢れ、心は踊り、顔は輝くでしょう。皆さんはいつもこの優先順位を意識して生活しているでしょうか?
  • 回心…パウロは同胞に向かって自身の回心の証しを大胆に語りました。以前は律法に熱心であったこと、この道の者(クリスチャン)を迫害し、死にまで追いやったこと(つまりイエス様は優先順位の最後尾であるだけでなく論外であったこと)、しかし復活の主と出会い、霊の耳と霊の目が開かれたことを語りました。イエス様と出会ってからは、熱心な律法主義者から回心した福音(喜ばしき音信)伝道者として果敢に生き抜いたのです。
  • 復活…十字架(受難)のイエス様は復活(抵抗力)のイエス様です。人生の難題が目の前にあっても、十字架と復活のイエス様に目を向け、近づき、助けを求め、耳を傾け、御声を聞くときに、知恵と力が与えられ、喜びとともに希望の道が啓かれます。
  • 結び…今日の日が、私たちにとって主とともに新たな人生を歩み出すときとなるよう、祈ります。
Posted on 03/01/2020 at 16:27, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『喜びの三要素』(イエス・キリストの生涯 その97)(2020.3.1)

こう叫んだ。「イスラエルの皆さん、手を貸してください。この男は、民と律法とこの場所に逆らうことを、いたるところで皆に教えている者です。そのうえ、ギリシア人を宮の中に連れ込んで、この神聖な場所を汚しています。」(使徒の働き21章28節)(聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会)

はじめに…現在、世界中で大流行している新型コロナウイルス肺炎。日本においては感染拡大が続いていますが、中国、台湾では徹底した対策によって終息に向かっています。私の勤めているデイサービスでも出来る限りの感染防止対策(マスク着用、手洗い、アルコール消毒他)を行い、一人の重症者も出さず、利用者とスタッフの健康を守ろうとしています。

デマの拡散…ウイルスの拡大と相まって、さまざまな情報が拡散し、誤った情報やデマ情報も出回っています。ウイルスの拡散防止とともに、情報を取捨選択して焦らず冷静に対処する必要があります。今日の聖書のテキストもパウロの語り口の一部を切り取って誤解した思いで振る舞いを見て邪推して、迫害するユダヤ人の姿が記されています。(それはかつてのパウロの姿でもあった)

真理…パウロは本当に「民と律法とこの場所に逆らうことを、いたるところで皆に教えて」いたのでしょうか? つまりデマを吹聴して回ったのでしょうか。そうではなく、真理を曲げることなく語り続けたのです。しかし、それはあたかも(へブル人にとって)道理に反しているような響きをもっていたのです。イスラエルの民、モーセの律法、エルサレムの宮の三者は“ユダヤ教の三要素”ともいうべき重要なものですが、古い習慣や考えに固執して、新しいものを好まない保守的な人々には、それらをことごとく否定するように聞こえたのです。しかしパウロは、真のイスラエル(ガラ6:16)、まったき律法(ロマ13:10)、心の宮(Iコリ3:16)について教えたのです。つまり主イエス、隣人、自分(内なる聖霊)=JOY(Jesus Others Yourself)、喜びの三要素を宣べ伝えたのです。

疫病の意味…受難節(レント)が始まりました。今、新型コロナウイルスが流行していますが、イエス様の十字架(受難)は復活(イースター)へと続きます。復活のイエス様を信じ、隣人を愛し、聖霊の宮である自分自身を大切にしながら歩むとき、疫病は過ぎ去り(過ぎ越し)、解放と希望の春がやって来る、そう信じます。

結び…喜びの三要素を懐に抱かせてくださる三位一体の主の愛に感謝します。

Posted on 02/23/2020 at 15:44, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『恵みの旅』(イエス・キリストの生涯 その96)(2020.2.23)

彼は私たちのところに来て、パウロの帯を取り、自分の両手と両足を縛って、「『この帯の持ち主は、エルサレムでユダヤ人に、こんなふうに縛られ、異邦人の手に渡される』と聖霊がお告げになっています」と言った。(使徒の働き21章11節)

  • はじめに…先週の14日(金)から3日間、壱岐を訪ねました。“荒天”の天気予報とは裏腹に、素晴らしい春の陽気で、主の恵みに溢れていました。今回の壱岐訪問は、今年8月に開催を計画している日韓ジョイントチャリティーライブの話し合いが主な目的でした。話し合いに集まった一人ひとりが思いを率直に出し合い、ライブに向けて一層、絆が堅く結ばれたことを実感しました。
  • キリシタン史跡巡り…実は、主な目的の他、もうふたつ、大切な目的がありました。そのうちのひとつが、壱岐島のキリシタン史跡を訪ねることでした。壱岐には数多くのキリシタン史跡があります。安国寺のメンシア=日本最初のキリシタン大名・大村純忠の五女の拝塔であったり、“絵踏(えぶみ)”と呼ばれている踏み絵が行われた浜辺であったり、キリシタン達が密かに信仰の灯を心にともしながら礼拝するために祠の下に隠した聖母子像だったり、獄屋跡等々です。可能な限り巡れればと考えていたところ、行きたい所はすべて回ることができました。ただ史跡の管理が出来ておらず、竹藪に覆われて足を踏み入れることができなくなっているところも多数あり、環境を整備して何とか後代の人に継承していきたいと願いを新たにしました。
  • デイサービス設立…もうひとつは、壱岐教会での牧会時代から十数年来交流のあるFさんが、今秋、設立を目指しているデイサービスの候補地を視察することでした。5、6カ所の候補地を回りながら純粋な理念と覚悟を持ち、背水の陣で挑んでいるFさんに伴走して応援したいと強く思いました。
  • 御霊に持ち運ばれて…滞在中、何度か食事に誘われる機会がありましたが、そこで「先生は、首に縄をつけられて連れまわされているのでは? 牧師としての本来の活動と矛盾はないのか?」などと聞かれました。多くを語らない私の本心が何かを確かめたかったのでしょう。実際は“御霊”に体ごと持ち運ばれているのです。無限に広がる霊の海を航海しているのです。その寄港地として壱岐に主が導かれたのです。
  • 結び…再び壱岐の人々との出会いを与えてくださった主に感謝します。そして新たな使命を託してくださっている主にお応えできるよう、祈りつつ、信仰の旅を続けたいと願います。
Posted on 02/09/2020 at 15:55, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『人生を変える礼拝』(イエス・キリストの生涯 その95)(2020.2.9)

人々は生き返った青年を家に連れて行き、ひとかたならず慰められた(使徒の働き20章12節)

  • はじめに…先週の7日(金)は私の誕生日でした。東京オリンピックの年に生まれましたから56歳になります。誕生日の夜に、久しぶりに私が神学生時代に通っていた教会で出会った友人が訪ねて来てくれました。イエス様の誕生日プレゼントでした。仕事帰りでホコリまみれの友人から、仕事や家庭、健康状態の話を聞くと、苦労や不安が窺えました。
  • ユテコ…今日のテキストは、トロアスでの集会でパウロが長い説教をしていたところ、窓に腰かけてその説教を聴いている間に一人の青年ユテコが深い眠りに落ち、誤って三階から外へ転落してしまったという出来事です。まさに“寝落ち”してしまったユテコ。しかし、不幸中の幸い。死んでしまったのに生き返ったのでした。「ユテコ」という名前は日本語に訳せば“幸太郎”といったところでしょうか。“幸い”という意味の名前でした。まさしく名を体現した訳です。
  • 人生を変える礼拝…牧師の説教を聞いて睡魔に襲われる、ということは誰しも何度か経験があるのではないでしょうか? 牧師側の立場から見れば「いのちのみことばを語っているのに。何と不謹慎な」とか「私の語る説教は、彼のこころに響かない…。牧師失格」とか、腹立たしさや失望を感じてしまうものです。どちらの側にしても、そんな苦い礼拝の経験を積み重ねながら、ある礼拝で人生の転換点が訪れ、人生が変えられます。ユテコにとっては今日のテキストにある真夜中の礼拝が、まさに人生を変える礼拝になったことでしょう。人間的な礼拝に失敗したとき、主の栄光が現れる礼拝になる、そういう逆説が起こります。
  • 結び…今日も、どこかの礼拝で、誰かの人生の大いなる転換点になる礼拝が捧げられていることでしょう。今日、疲れているあなたを、失意の中にあるあなたを、礼拝に行けないあなたを、主イエス様が御手で抱きかかえてくださっています。
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