Posted on 06/12/2020 at 19:40, by matsumoto

フィリピンに2カ月かかって届いた贈り物

フィリピンの人に人気の“うまかっちゃん”と“チキンラーメン”
“ふりかけ”と“玄米茶”、それと“レトルトカレー”
順番を待っている子どもたち
ふりかけとキャンディーもらいました
おじちゃんは石鹸とうまかっちゃん
こちらのおじちゃんは石鹸とチキンラーメン、うまかっちゃん
あんちゃん達はうまかっちゃんとふりかけ
皆さん大勢集まりました。恵みと平安がありますように
Posted on 06/07/2020 at 15:12, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『養い育ててくださるイエス様』(イエス・キリストの生涯 その111)(2020.6.7)

(…)キリストも私たちを愛して、私たちのために、ご自分を神へのささげ物、またいけにえとし、芳ばしい香りを献げてくださいました(…)いまだかつて自分の身を憎んだ人はいません。むしろ、それを養い育てます。キリストも教会に対してそのようになさるのです。(エペソ人への手紙5章2、29節)(聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会)

  • はじめに…緊急事態宣言解除にともない、可児市の「バラ園」も開園になり、久しぶりに出かけました。バラの芳しい香りが初夏の風に漂い、体を包み、心の芯にまで染み込んで来るようでした。また、外出自粛以前から行ってみたかった「中山道みたけ館」も開館になり、キリシタン遺物(十字架に磔になったイエス様、聖母子像の石碑)を直接、肉眼で見ることができました。写真で見て知っていたのとは違い、大きさ、重量感、そして何といっても幾度となくキリシタンたちの手で触れられ、抱きかかえられたことを証しする滑らかで光沢のある石の表面は、キリスト教禁教下で信仰を持って生き抜いた先人たちの息遣いを実感しました。
  • 息ができない…キリスト教禁教下、キリシタンたちは息をひそめるようにして信仰を継承してきました。いわゆる“隠れキリシタン”とも“潜伏キリシタン”とも呼ばれる信仰の先達の人々があったがゆえに、今を生きる私たちは安んじて息をし、呼吸し、バラの芳しい香りを胸いっぱいに吸い込むことができています。しかし、時同じくして謂れなき人種(黒人)差別によって息が出来なくされ、窒息させられる事態が米国で起きました。亡くなったジョージ・フロイドさんの最後のことばは「息ができない」でした。
  • 聖霊を受けよ…復活のイエス様は、ユダヤ人を恐れて部屋に鍵をかけて息をひそめていた弟子たちに「平安があるように」と語った後、息を吹きかけ「聖霊を受けなさい」と語られました。そして「罪を赦すなら、赦される」と続けています(ヨハネ福音書20章21-23節)。その後、ペンテコステにより教会の初穂が誕生しました。聖霊の風に乗り、各地に新たな教会が生まれ、それぞれの教会をこんにちもイエス様が“養い育て”てくださっているのです。必要な霊肉の糧を与えてくださり、世話をし保護し、懐に温かく包んでくださいます。
  • 結び…コロナ禍で、息苦しい世の闇に覆われていますが、どんなに困難な状況にあっても、イエス様は一人ひとりに聖霊の息、風を吹きかけてくださり、平安を与えてくださいます。
Posted on 05/31/2020 at 21:54, by matsumoto

ペンテコステ礼拝要約『霊的な新しい日常』(イエス・キリストの生涯 その110)(2020.5.31)

怒っても、罪を犯してはなりません。憤ったままで日が暮れるようであってはいけません(…)互いに親切にし、優しい心で赦し合いなさい。神も、キリストにおいてあなたがたを赦してくださったのです。(エペソ人への手紙4章26,32節)(聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会)

  • はじめに…先週、いとすぎ教会で礼拝を共にしている姉妹が、いつもスマホにみことばが送信されて来るなかで、ガラテヤ人への手紙6章7節のみことばによって怒りが鎮まり平安を得た、そう証しをしてくださり、私たちもその証しに霊の感動を覚えました。ただ姉妹のなかに自分のみことばの受け止め(解釈)が間違っていないか、独りよがりなのではないか、そんな一抹の不安があったようです。ガラテヤ書6章7節のみことばは以下のみことばです。「思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、刈り取りもすることになります」
  • 文脈と生き様…つまり、このみことばは、元来、過ちを犯している者を叱責するみことばであるはずのものを、善い意味に勘違いしているのでは? という疑問でした。確かにこのワンフレーズだけを切り取った場合、過ちを正す意味に捉えられますが、次節の文脈との関係で観るとき、両義的な意味を持っていることが明らかになります。8節「自分の肉に蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊に蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです」姉妹はガラテヤ6章7節を目にして(聴いて)瞬時に次節のみことばをも悟り、いのちの実を刈り取ったのです。ハレルヤ!
  • 平安と赦し…本主日は、ペンテコステです。50日目という意味で、最初は大麦の初穂の収穫(過ぎ越し)の7週間後の小麦の収穫(刈り取り)の祝いの日でした。後に出エジプト(奴隷解放)から7週間後(つまり50日後)にモーセがシナイ山頂でトーラーを授かった記念日(出エジプト19章)となりました。そしてイエス様の十字架、復活の7週間後の聖霊降臨の出来事を記念する日となっています(使徒の働き2章)。それで「教会の誕生日」と言われます。聖霊の宿る教会は平安と赦しに満ちています。なぜなら「あなたがたに平安を与える」(ヨハネ14章27節)「赦しなさい」(ルカ17章4節)と使徒たちに語られたイエス様が教会の頭だからです。私たちの内なる教会から平安と赦しがあふれるのは、聖霊の働き、そして聖霊の証しです。これをパウロはエペソ書で「新しい生き方」タイムリーな言い方をすれば「新しい日常」として示しました。
  • 結び…新型コロナ禍のただ中で、霊的な「新しい日常」をはっきりと示してくださった主に感謝します。
Posted on 05/24/2020 at 18:29, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『知識を超えるキリストの愛』(イエス・キリストの生涯 その109)(2020.5.24)

人知をはるかに超えたキリストの愛を知ることができますように。そのようにして、神の満ちあふれる豊かさにまで、あなたがたが満たされますように(エペソ人への手紙3章19節)(聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会)

  • はじめに…先週、私の勤めるデイサービスの利用者の息子さんが“ぞうのウンチ”で紙を作るビジネスをしていることをお話ししました。そのプロジェクトを分かりやすく説明した絵本『ぼくのウンチはなんになる?』がミチコーポレーションから出版されています。簡単に言えば、ゾウと人間が共生できるビジネスモデルです。傷ついたり、親を失ったゾウを保護して、そのゾウのウンチから紙を作っています。儲け優先ではなく、自然と人間への愛が基本にあります。
  • 奥義と祈り…今日のテキストのエペソ3章は、パウロに啓示されたキリストの奥義と祈りが主題です。奥義は御霊によって啓示されているとパウロは語ります(5節)。つまり人の知識や能力によっては知ることができないのです。ですからパウロは、この奥義を知らせる務め=福音宣教は神の働きによって与えられた恵みだと言います(8節)。その内容は、「キリストの測り知れない富」です(同)。
  • 計測不可能…人間の力、能力では計測不可能なキリストの富、そして人知をはるかに超えたキリストの愛(19節)。その富、その愛は如何ばかりでしょうか。パウロは祈ります。無防備な姿でこの世に生まれ、無力な姿で十字架に死なれたイエス様に、心の核心に住んでいただき、愛に根ざしているあなたがたが、キリストの富、キリストの愛に満たされる(プレーローマ=あふれ出る)ようにと(17-19節)。植物が地中深く根を張って、栄養分を吸収して生長するように、キリストが私たちの内の最も深いところに住んでくださり、そのキリストから愛を受けるとき、測り知れない主の富と愛があふれ出ると、パウロは確信してエペソの人々に、そして私たちに伝えているのです。
  • いばらの冠と義の栄冠…富は永遠のいのち、聖霊、愛はあがないと、それぞれ言い替えてもよいでしょう。あがないの愛の御業と聖霊の働きが、私たち教会を通して知られることが、主の永遠の計画(経綸)だと、パウロは語るのです。愛に富まれるイエス様は、いばらの冠をかぶり(ヨハネ19章5節)、十字架に死なれました。それはパウロに、そして私たちに義の栄冠、朽ちない冠、いのちの冠を得させるためでした(Ⅱテモテ4章8節、Ⅰコリント9章25節、黙示録2章10節)。冠、栄冠はコロナ=クラウンです。
  • 結び…新型コロナ禍の後、ポストコロナは、いのちの冠(The crown of life)を戴くための新しい時代の幕が開かれる、そう信じます。
Posted on 05/17/2020 at 10:04, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『いのちの贈り物』(イエス・キリストの生涯 その108)(2020.5.17)

実に、キリストこそ私たちの平和です。キリストは私たち二つのものを一つにし、ご自分の肉において、隔ての壁である敵意を打ち壊し、(…)このキリストを通して、私たち二つのものが、一つの御霊によって御父に近づくことができるのです。(エペソ人への手紙2章14-18節)(聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会)

  • はじめに…今年も庭のバラが美しく咲きました。散歩する人の中には足を止めて見入る人があったり、フェイスブックにアップしたバラの写真に「いいね!」や「素敵な薔薇達ですね。どうぞ!と招いてくれている感じがします」とコメントを書いてくれる人があったり。バラを介して、ほっこりするかけがえのない贈り物を頂いた、あるいは新鮮な空気を吸って生き返った、そんな感じです。
  • 出会い…私の勤めるデイサービスの利用者、そしてスタッフの家族や親族の中にはいろいろな才能、賜物をもっている方があります。学者さんだったり、お医者さん兼作家だったり、ユニークな事業家(なんと“ぞうのウンチ”で紙を作るビジネス)だったりします。それらに驚きつつ、触発されます。私自身からは、決して見出すことのなかった分野の方々です。皆さんの中にも、ご自身の人生が大きく変わるきっかけになるような、そんな贈り物のような出会いが何かしらあるのではないでしょうか。
  • 仲介者イエス・キリスト…エペソ人への手紙の著者パウロも、その人生を180度転換させられる出会い、すなわち復活のイエス・キリストとの出会いを体験したのです。そのイエス様との出会いによってパウロは異邦人とユダヤ人の仲を取り持ち、また、父なる神と人との和解のために奔走しました。すなわち神の愛に生き、神の愛を伝え、数々の教会創設のきっかけを作り、人生を走りつくしたのです。自らのイエス様との出会によって身をもって体験した神の愛の真実を伝えずにはおれなかったのです。神の子イエス様が贖いとなり、あらゆる敵意(障壁)を取り除き、父なる神との霊の交わりができるようにしてくださった、これは神の一方的な恵み以外、何によっても不可能なのだと。これは永遠の昔からの神様の愛のうちに計画(預言)されていたことです(イザヤ書57章15-19節参照)。『しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、背きの中に死んでいた私たちを、キリストとともに生かしてくださいました。あなたがたが救われたのは恵みによるのです』(エペソ2章4-5節)
  • 結び…今日も自然を介して私たちをいやし、人を介して私たちを励ますお方は、父の愛ゆえに天から地に降り来て、十字架にてご自身のいのちと引き換えに私たちを新しく生かしてくださっている、恵みと平和の主イエス様です。感謝します。皆さんの人生の一瞬一瞬に、必ず主の恵みと平安が豊かにあります。
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