Posted on 12/15/2013 at 05:02, by matsumoto
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彼は言った。「私は、預言者イザヤが言ったように『主の道をまっすぐにせよ。』と荒野で叫んでいる者の声です。」 (ヨハネ1章23節)
■ はじめに…今日の夜中、ゴトゴト!という物音で目が覚めました。ベッドから携帯電話が落ちた音でした。もし、その携帯が落ちる音がしなかったら…。きっと私は朝までぐっすりと寝入っていたことでしょう。つまりメッセージの準備をすることが出来なかったでしょう。
■ バプテスマのヨハネのキャンドル…今日はアドベント第三主日です。3本目のキャンドルに火が灯りましたが、これは「バプテスマのヨハネのキャンドル」です。バプテスマのヨハネは、救い主なるイエス様を世の人々に、いち早く証しました。
■ パスする… the preparation is deduced at metformin purchase uk , and at a hemodialysis. use of order fluoxetine online no prescription , and of antibiotics at fluoxetine fog, 私たちは、自分の存在をアピールします。人々から神のごとく崇められ、賞賛され、神のごとく振る舞いたいというような衝動があります。しかし、荒野で悔い改めのバプテスマを授け、多くの弟子を持っていたヨハネは、自己アピールではなく、主イエス様を指し示し、主の顕れを人々に備えることに徹していました。「キリストではない」「エリヤでもない」(ヨハネ1章20、21節)と、徹底して自己否認して、脇役に徹しました。脇役というよりも、第1幕と第2幕をつなぐナレーションとしての“声”でした。
■ 主との霊の通路…それは荒野の中で「主の道をまっすぐにせよ」という声でした。これは預言者イザヤが語った預言のことばです(イザヤ40章)。荒野は、深い谷と険しい山に囲まれて、いのちが脅かさる困難な状況です。そのなかで「力の限り声をあげよ。声をあげよ。恐るな」「主は力をもって来られ(…)ふところに抱き、優しく導く」「主を待ち望む者は新しく力を得る」と、励ましと確信をもって預言を語っています。主との霊の通路が開くとき、私たちは新たな希望と生きる力が与えられます。その福音が2千年のときを超えて、私たちのところに届いています(コロサイ1章6節)。
■ 結び…主との霊の通路が開かれている皆さんお一人ひとりの歩みが、希望と力に満たされたものとなりますよう、祝福して祈ります。
Posted on 12/08/2013 at 19:50, by matsumoto
シオンの娘よ。大いに喜べ。エルサレムの娘よ。喜び叫べ。見よ。あなたの王があなたのところに来られる。この方は正しい方で、救いを賜わり、柔和で、ろばに乗られる。それも、雌ろばの子の子ろばに。 (ゼカリヤ9章9節)
■ はじめに…今日は待降節(アドベント)第二主日です。2本目のキャンドルに火が灯りました。この2本目のキャンドルは「預言者のキャンドル」で、救いの約束のシンボルです。
■ いのちを削って…キャンドルは蜜蝋(みつろう)から作られますが、その蜜蝋は働き蜂(処女の蜂)によって作られます。それで働き蜂=マリヤ、蜜蝋=キスリトの象徴ともなっています。当然、火をつけるとキャンドルは短くなります。「主は(…)おとめマリヤより生まれ、苦しみをうけ(…)」と、使徒信条を唱和しますが、まさに明かりを灯しながら短くなっていくキャンドルが、自らのいのちを削って、私たちの救いのために働かれたイエス様の生き様を現していると言えます。
■ ろば…そのイエス様による救いを、語り続けてきたのが預言者たちでした。その預言者のひとり、ゼカリヤの語った預言の一節。「この方は(…)柔和で、ろばに乗られる」。預言通り、イエス様は、ろばに乗ってエルサレム入城をされました(マタイ21章)。軍馬に乗って力を誇ることはなさらず、無力なろばに乗り、地に平和をもたらされます。今、再び力によって国を守ろうとする潮流のなかで、私たちクリスチャンは、平和の君なるイエス様を背にお乗せする、ろばの働きに召し出されているのではないでしょうか。
■ 飼葉おけを知っている…「ろばは持ち主の飼葉おけを知っている」(イザヤ1章2節)と、預言者イザヤは告げました。イエス様は飼葉おけのなかにお生まれになられました(ルカ2章7、11節)。ろばは主のみこころを見極める霊の目を持っています(民数記22章23節以下参照)。
■ 結び…年の暮れ、主の降誕日に向かって、皆さんお一人ひとりの心の飼葉おけのなかにイエス様をお迎えする備えが整えられますよう、祝福して祈ります。
Posted on 12/01/2013 at 08:44, by matsumoto
御霊を消してはなりません。 (Ⅰテサロニケ5章19節)
■ はじめに…先週火曜日に「特定秘密保護法案」が衆議院を通過しました。この法案に反対する学者の会が声明を発表するなど、批判が高まっています。賛否両論ありますが、聖書は「あかりを持って来るのは、枡(ます)の下や寝台の下に置くためでしょうか」(マルコ4章21節)と、すべては明らかにされることを指摘しています。
■ ハヌカー…この季節は、冬至に向かって、夜が長くもっとも闇の深い時期です。この時に、救い主イエス様の誕生を祝うアドベント(=エピファネイア、顕現)がやって来ることは意義深いことです。また、とき同じくして私たちキリスト者の隣人なるユダヤ教徒の方たちはハヌカーという祝祭をします。“ユダヤ教のクリスマス”と言われたりします。ギリシアのゼウス神に支配されていた神殿を奪還し、再び主に奉献したことを記念する行事です。神殿を照らす油がわずか1日分しか残っていなかったにもかかわらず8日間、火を灯し続けたという故事にちなんで8枝(9枝)の燭台ハヌキヤにひとつずつ火を灯していきます。
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■ アドベント…同じように私たちはクリスマス・クランツに4本(5本)のローソクを立てて、アドベントの主日毎に1本ずつ明かりを灯していきます。今日はその1本目で「アブラハムのキャンドル」です。主の約束を信じて信仰の歩みを始めた“信仰の父”ゆえに、約束の成就としてのイエス様の誕生へと引き継がれてきたことを想起するキャンドルです。
buy viagra at most reasonable price. online pharmacy. lowest prices. order the cheapest medications. discount viagra ■ 救い主イエス・キリスト…「光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった」「すべての人を照らすまことの光が世に来ようとしていた」(ヨハネ1章5、9節)と聖書はキリストなるイエス様の誕生を記しています。キリスト=メシヤは油注がれた者の意で、聖別された王、預言者、祭司として任命された証しです。
■ 結び…私たちのうちにイエス様がお生まれになられます。私たちも聖霊の油を注がれて、神の子ども、光の子どもとして歩むように勧められています。そして「御霊を消してはなりません」(Ⅰテサロニケ5章19節)。油は無くなりません。その9つの実(ガラテヤ5章22、23節)を豊かに結び、世の光として闇を照らす使命を果たせるよう、祝福して祈ります。
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Posted on 11/24/2013 at 08:44, by matsumoto
彼は主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。 (創世記15章6節)
■ はじめに…先週、恩師から電話がありました。私たちが郵送した献堂感謝の便りが届いたことの連絡とあわせて近況報告を聞かせて下さいました。先生は現在75歳(たぶん)ですが、教会の近くに250坪の土地と築百年になる家を買い求めたとおっしゃっていました。まさに75歳になってから約束の地へ向けて一歩を踏み出したアブラハムの信仰の姿勢と師の姿がオーバーラップしました。
■ 信仰義認…先週に引き続き今日も創世記からみことばを共に聞きます。今日のテキストは、いわゆる“信仰義認”の箇所です。15章1節に「これらの出来事の後」とありますが、ききん、争い、略奪等の試練です。その後、「あなたの子孫は、天の星のようになる」と主のことばがアブラムに臨み、それを信じ、義とされました。
■ 義…信仰義認とは、律法を行うことによって“よし”とされることではなく、主を信じることによって、“よし”とされるということです。「義」とは、主のことばを、とても常識では考えられないものであったとしても、信仰をもって誠実に聴き、応答しようとする態度、構え、ということができます。
■ キリストによる義…この信仰義認を使徒パウロは、「キリストによる義」として、ローマ書3章-6章他で、私たちに伝えています。ただ聖書の訳出の仕方を考慮する必要があります。たとえば「イエス・キリストを信じる信仰による神の義」(ローマ3章22節)というと、私たちの側の主体性が強調されて、結果、「あの人の信仰は弱い、浅い、間違っている」と隣人を裁く尺度になってしまいがちです。むしろ真意は「イエス・キリストの信(信実)による神の義」でしょう。イエス様の主体性を父なる神が義とされ、その故に、私たちも義とされ主との関係が回復したのです(ローマ5章18節)。
■ 義を生きる…そのイエス様ご自身、「義に飢え渇く者は幸い」「義のために迫害されている者は幸い」と山上の垂訓で義について語られました。そして義に生きる者の姿を指し示されました。またパウロもローマ12章以下で、義(あるいは愛)に生きる信仰者のあり方を示しています。
■ 結び…今週も主の御声を聞き、イエス様の愛によって生きる一週間であるよう、祝福して祈ります。
Posted on 11/17/2013 at 16:28, by matsumoto
その後、主はアブラムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。 (創世記12章1節)
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■ はじめに… order atarax, purchase atarax, where to buy atarax, atarax tablets 25mg, atarax 10mg tablets, hydroxyzine pam, order hydroxyzine. generic atarax 先主日は、いとすぎキリスト教会の献堂感謝礼拝でした。会堂は会衆で溢れ(と言いましても16席ですが)、主の栄光で満ちました。川内先生が「クリスチャンの喜びは世のシャボン玉のように消えてしまい、悲しみに変わってしまうような、はかない喜びではなく、①罪からの救いの喜び、②永遠の生命の喜び、③御国の市民権が与えられている喜びです」と、キリストにある真の喜びの使信を伝えて下さり、感謝でした。
■ 御声…アドベントに先立って、今一度開拓の歩みを振り返ってみたいと思います。韓国滞在中に「教会の名は“いとすぎ”」という御声を聞き、日本に帰国し東京の教会に赴任。ところが1年を待たずして「名古屋に教会を立てなさい」と言う御声を聞き、愛知の実家に帰郷。しばらく名古屋オンヌリ教会の礼拝に出席。その間に仕事探し。ナイナイづくしの生活でした。あったのは主の与えて下さった開拓の約束への信頼だけでした。そして祈りと礼拝。そんな中で最初の開拓拠点の借家が与えられ、それから3年半後、自前の会堂が与えられたのです。
■ 愚直さ、無垢な心…信仰の父と称されるアブラム(アブラハム)。「わたしが示す地へ行きなさい」という主の御声を聞き、住み慣れた故郷(生き方)を後にしました。異邦の地、前人未到の領域へ歩み出したのです。御声は、はっきりとした音節を伴い、意味の分かる言葉ではありません。心の奥底に響いて来る霊感“霊の感動”です。その霊の感動に信頼して、突き動かれて信仰の歩みは始まります。知識、理性、過去の経験では絶対に信仰の一歩は出ません。主に対する愚直さ、幼な子のような無垢(むく)な心が必要です。逆に言えば、それさえあればOKということです。愚直さと無垢な心という信仰の帆が、聖霊の風をいっぱいに受け、神の国に向けての旅が始まります。
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■ 困難の先にあるもの…旅には思いがけなない想定外の出来事、困難(今日のテキストではききんと争い)が伴います。しかし主の祭壇を築き、主の御名で祈るとき、主の導きと祝福があります。
■ 結び…今週一週間、いとすぎの信仰の船旅をともに楽しむことが出来ますように。