Posted on 07/12/2020 at 17:31, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『祈り場』(イエス・キリストの生涯 その116)(2020.7.12)

そうすれば、すべての理解を超えた神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。(ピリピ人への手紙4章7節)

  • はじめに…家庭において、職場において、あるいは教会において、意見、主張、見解が異なり、反目したり対立することがしばしばあります。感情が高ぶり、頭に血が上り、怒りを露わにしたり、反対に気分が落ち込んで、胃がキリキリ痛むようになるなんてことも経験があるのではないでしょうか。その空気感が周囲にも伝染し、険悪な関係になったり、溝ができたり、しこりになったりすることもあるでしょう。ピリピ教会にも、そのような憂慮すべきことがあったようです。パウロはピリピ書の最終章でそのことを記しています。
  • ユウオディアとシンティケ…対立、あるいは反目していたのはユウオディア(=良き案内者、あるいは芳ばしい香りの意)とシンティケ(=めぐり合わせの意)という二人の女性です。ピリピの教会は、パウロのヨーロッパ伝道において、ルデヤ(女性)とその家族を初穂として生まれた最初の教会でした(使徒16章12-15節)。もともと、川岸の祈り場に集まっていた女性たちとパウロの出会いから教会へ発展したのでした。その教会が成長する過程で、ユウオディアとシンティケは、教会のリーダーとして福音宣教の働きを熱心に担っていたのでしょう。
  • 熱心さが裏目に…時として物事に対する熱心さが、裏目になることがしばしばあります。対立の小さな芽になったりします。相手のためを思って、あるいは集まり全体のことを配慮しての発言や行動が、問題の火種になります。知らず知らずの間に、自分中心、人間中心の振る舞いになってしまいます。いつの間にかイエス様から離れてしまっているのです。
  • 解決はいずこに…そんな中、パウロは「真の協力者(=共に軛を負う者)よ、助けてあげて」(ピリピ4章3節)と、周囲の人々に、問題解決に向けて協力を要請しています。つまり「傍観しないで」「無関心でいないで」そう訴えているのです。具体的には“主にあって喜ぶ”ことと、“感謝をもって祈る”ことです。あの最初の“祈り場”に集まっていた時のことを想い出してほしい、そうするなら「人知をはるかに超える神の平安によって(天使が陣を張って)守られる」(同7節)、それがキリストの体なる教会だ、そうパウロは確信し、勧めています。だからどんな問題が目の前に立ちふさがっても“思い煩う(心の分裂)”にはおよばない、イエス様に繋がっているならイエス様から力が与えられ、何でもできる(同13節)、そう信じます。
  • 結び…イエス様に繋がって喜び、感謝をもって祈る、その信仰の原点(祈り場)を想い起こし、一歩を歩み始めることができるよう、祈ります。
Posted on 07/05/2020 at 18:21, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『キリスト体験の機会~礼拝』(イエス・キリストの生涯 その115)(2020.7.5)

しかし、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを私たちは待ち望んでいます。(ピリピ人への手紙3章20節)

  • はじめに…先週、私の勤めるデイサービスで利用者さんが転倒。一日の活動を終え、荷物をまとめてフロアから玄関先へ移動するときでした。大腿骨転子部骨折でした。通常ですと手術になるところですが、病院受診の結果、肺がんの進行が見られ、そのがんが骨に転移して骨が溶けている状態で「骨転移腫瘍」(ステージⅣ)と診断され、手術ではなく、今後どのように看取るかということになりました。ご本人、ご家族に対して介護職として誠実に責任を果たすことはもちろんですが、牧会者としてどこまで関われるのか逡巡し、力の限界に打ちひしがれます。
  • 国籍は天に…キリスト者にしても、そうでなくても、この世の国に属しています。同様に、キリスト者も、そうでない人も、神様に創造され、神様に愛されている神の子として天の国にも属している、そう信じています。パウロはユダヤ人と異邦人と区別はしませんでした。ユダヤ人と異邦人が一つになることが教会だとしました。それゆえ、異邦人の救いのために自分は召されている、そう確信していました。目に見える部分ではなく、見えない霊的な部分に心を向けました。目に見えるものは“損”“ちりあくた”だと豪語しています。それは「キリスト・イエスを知っている(=体験している)ことのすばらしさゆえ」(ピリピ3章8節)だと。
  • 待ち望む…キリストを体験する機会として、私たちには礼拝が与えられています。形式的な礼拝ではなく、神の御霊による礼拝(ピリピ3章3節)、霊とまとこの礼拝(ヨハネ4章23節)です。私たちは自分で自分を救うことはできません。天におられる救い主イエス様が抱き上げてくださることによって、罪多き、不完全な私たちは御国にふさわしい者としていただけます。その確信を礼拝において、主イエス様ご自身が与えてくださいます。今、痛んでいる方々、悩んでいる方々、苦しんでいる方々、特に弱くさせられている方々に救い主なるイエス様が近づいて、まなざしを向け、御声をかけてくださいます。
  • 結び…今日も礼拝に導いてくださった主イエス様に感謝します。人間的なものから解き放ち、霊とまことの礼拝を捧げる機会を与えてくださり感謝します。
Posted on 06/28/2020 at 15:58, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『三不可と幸せの四因子』(イエス・キリストの生涯 その114)(2020.6.28)

神はみこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださる方です。(ピリピ人への手紙2章8節)

  • はじめに…昨晩、青年時代からの教友のSさんから電話がありました。Sさんの義父Kさんが一昨日召天したとのことでした。一年ほど前から老人介護施設で生活をするようになり、自力歩行は困難となり認知症も進行する中で、最後は所属教会の牧師が駆け付け、聖書を読み、祈ると、それまで虚ろだった目の焦点ははっきりし、みことばと祈りに耳を傾けていたということでした。Kさんは私の人生にとって、忘れることのできない方です。是々非々のはっきりした一途な性格の方でした。「ただ一つのこと、すなわち、うしろのものを忘れ、前のものに向かって身を伸ばし、キリスト・イエスにあって神が上に召してくださるという、その賞をいただくために、目標を目指して走っているのです」(ピリピ3章13-14節)と語ったパウロ同様の熱情を持っていました。今、走るべき道のりを走り終え、天国の門の向こう側で義の栄冠(crown<英語>/ corona<ラテン語>)をイエス様から戴いて(②テモテ4章7-8節参照)、笑顔を輝かせているKさんを想像します。
  • 三不可…内村鑑三の弟子で、元東大総長の矢内原忠雄は、上述のピリピ書を “三不可”として表しました。「うしろを見るべからず、前を見よ/おのれを見るべからず、上を見よ/人を見るべからず、神を見よ」と。“うしろ”とは過去への愛着、言うなれば出エジプトしたイスラエルの民がエジプトの「肉鍋」恋しさに現状の窮状に不平不満を呟く状態、“おのれ”とはあまりに小さく孤立状態にある古い自分、そして自分との優劣や後先の比較対象としての他人。そのようなものに肉の目を向けるのではなく、新しく啓かれる現在と将来、罪赦され、復活の希望、御国に生きる新しい自分、そして比較対象ではなく、共に生きる創造の主なるイエス様に霊の目を向けるとき、主からの祝福、幸いが頂けるのです。
  • 幸せの四つの因子…ところで、「幸福学」という研究分野があります。その研究(因子分析)から“幸せの4つの因子”が明らかになっています。①「やってみよう」因子②「ありがとう」因子③「何とかなる」因子④「ありのまま」因子の4つ。各々みことばと対応させることができます。①ピリピ人への手紙4章13節Ⅰテサロニケ人への手紙5章16-18節マタイによる福音書6章34節イザヤ43章4節
  • 結び…“三不可”と“幸せの4つの因子”の源である、みことばとイエス様の在り様、そして信仰の先達の証しした生き様に目と心を向け、今から一歩を踏み出せる幸いを主に感謝します。
Posted on 06/22/2020 at 14:59, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『キリスト・イエスの愛の心をもって』(イエス・キリストの生涯 その113)(2020.6.21)

私がキリスト・イエスの愛の心(=内臓)をもって、どんなにあなたがたすべてを慕っているか、その証しをしてくださるのは神です(ピリピ人への手紙1章8節)(聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会)

  • はじめに…先週、都道府県を越えての移動の自粛が解除され、再び岐阜県にある『中山道みたけ館』へ出かけました。もう一度、御嵩キリシタンの信仰の証しの数々をしっかり見たいという思いからでした。前回は、キリシタン遺物の大きさ、重さを実感しましたが、今回は遺物から伝わってくる信仰の大きさ、重さを感じました。今、NHKの大河ドラマで明智光秀のことが取り上げられていますが、光秀と同じ美濃国に生まれ、キリシタンであったろう確信できる小原城という小さな城主、小倉織部が主人公として描かれている『戦い越えて 御嵩キリシタン誕生』(渡辺正司著)という著書があります。16世紀後半の戦乱の世に翻弄されながら、戦いのない平和な暮らしを願い、刀を捨て、村人と共に信仰をもって生きる道(真実の道)を選ぶという、史実の行間を読み取った物語。
  • 親しい交わり…今日からパウロの獄中書簡の第2番目の書である『ピリピ人への手紙』です。パウロは第二伝道旅行の折、マケドニヤ人の幻を見てピリピを訪れ、紫布の商人ルデヤと出会い、パウロの宣教を聞き、ルデヤと家族はバプテスマ受け、ヨーロッパ最初の教会となりました(使徒の働き16章9-15節)。ルデヤをはじめ教会のメンバーたちは、信仰生活に入ったその日からずっとパウロの伝道に物心両面で支援し続けました(ピリピ1章5節)。キリストの体として成長していくピリピ教会の一人ひとりをパウロはひと時も忘れることなく、心に覚え、祈りに覚えていたことでしょう。
  • あなたがたすべてを慕っている…その思いを「あなたがたすべてを慕っている」(同8節)と表現しています。昨今、介護や医療など幅広い分野で注目されいいるものとして『オキシトニン』があります。“愛情ホルモン”とか“幸せホルモン”とか呼ばれています。オキシトニンはギリシア語で「速やか」と「出産」を合わせた造語です。つまり“安産”です。生まれたばかりの赤ん坊を母親が愛おしみ胸に抱き寄せる、そのような行動に働いているホルモンです。パウロも、ピリピの教会のメンバー一人ひとりに対して、そんな思いを抱いていたと、想像できます。
  • 結び…パウロにピリピ教会の一人ひとりをいと惜しむ思いを与えてくださったイエス様の心(=聖霊)が、私たちの内側に広がり、溢れるよう、願い、祈ります。
Posted on 06/14/2020 at 15:13, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『霊の闘い』(イエス・キリストの生涯 その112)(2020.6.14)

私たちの格闘は血肉に対するものではなく、支配、力、この暗闇の世界の支配者たち、また天上にいるもろもろの悪霊に対するものです(エペソ人への手紙6章12節)(聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会)

  • はじめに…先週木曜日のNHKの番組「クローズアップ現代」で、クラスターの発生した大阪のライブハウスのオーナー片山行茂さんのことが取り上げられていました。片山さんはクラスター発生後すぐに店名を公表し観客に検査を呼びかけたそうですが、直後に匿名での誹謗中傷の嵐にみまわれ、「これはもう潰れるしかないのか…。社会にとって不必要なものなのか…」とマイナス思考に陥ったそうです。そのライブハウスで活動していた一人は「コロナより人が怖くなった」とも。そんな中、「あの場所でみんなと音楽する日を楽しみにしています」「思い出がたくさんある大好きなライブハウスです」など、多くの応援メッセージが届き、そのことばに支えられ、どん底から立ち上がれたと。そしてそれらのファンの思いに応えるべく、活動の場を失ったアーティストの仲間たちと協働して生まれたのが「希望の歌」(https://youtu.be/pnI-Qi8PY90)でした。率直な思いがストレートに表現されていて心の奥底に響く素晴らしい楽曲です。希望の歌を歌うよ/君が隣にいて/笑い合う日が来る時まで/希望の歌を歌うよ/拡がる大空に/僕らの夢が届く日まで
  • ことばの力…黒人男性のジョージ・フロイドさんが警官に首を膝で押さえつけられて死亡したことへの抗議から、反人種差別デモが世界各地で行われています。この波は、かつてのキング牧師の「公民権運動」を超える運動になるかも知れないという声もあります。「私には夢がある。黒人の少年少女が白人の少年少女と兄弟姉妹として手を取り合うようになるという夢が」
  • 霊の闘い…今日のテキストはエペソ書の最終章です。日常の親子関係、そして社会的な主従関係について述べ、これらはすべて霊の闘いの具体的な現場なのだとパウロは語ります。この闘いのために神のすべての武具を取れと言います。この世での闘いは、霊の闘いゆえに、人間の力、人間の武具では対抗できない、神が備えてくださる武具一式を取り揃えることによってしか悪魔の放つ火矢(火種)を消すことはできない、そうパウロは語っています。火種は創世記3章に記されてあるのと同様、神と人、人と人との関係を壊そうとする蛇(サタン)の巧みなことばです。これに対抗できるのは神の備えてくださっている真理、正義、平和、信仰、御霊(みことば)です。そして一人ひとりを結びつける祈りが拠り所、難攻不落の牙城です。
  • 結び…神と人、人と人を結びつける祈りを聞いてくださり、夢と希望、そしてキリスト者としての自由と永遠のいのちを与えてくださる主に感謝します。
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