Posted on 01/12/2020 at 09:42, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『ひとつ命にあずかる』(イエス・キリストの生涯 その93)(2020.1.12)

パウロとシラスは、アンピポリスとアポロニアを通って、テサロニケに行った。そこにはユダヤ人の会堂があった。パウロは、いつものように人々のところに入って行き、三回の安息日にわたって、聖書に基づいて彼らと論じ合った。 (使徒の働き17章1-2節)

■ はじめに…私たちにはそれぞれ少なからず数十年来の親しい友があります。その一人ひとりと最初の一瞬の出会いがあった訳です。いつも顔を合わせて会っている訳ではありませんが、紆余曲折を経ながら、その友人関係は継続しています。

■ テサロニケ教会とパウロ…ピリピでの伝道の後、パウロ一行は、そのむち打ちの傷が完全に癒える間もなく、テサロニケへの地へ向かいました。そして約3週間にわたって福音を伝えました。このわずかな出会いからテサロニケ教会が生まれました。その後、テサロニケ教会とパウロの親密な交わりは、時間、空間を超えて深まっていきました。当然なことですが、単なる人間的な交友関係ではありませんでした。

■ 交わり…それは“信じる者の交わり”でした。それは “祈りを通じて繋がっている”時空を超えた交わりです。この世の交わりは物質的、限定的です。しかし、福音を信じ、主イエス様に包まれた交わりは、霊的、永続的です。パウロは、その福音の真理をわずか3週間で伝えたのです。それはパウロの人間的な能力を超えた聖霊の力によるものでした。私たちの力が0・00001と限りなくゼロに近かったとしても、無限大の聖霊の力が共にあるならば、私たちは無限大の力を発揮できるのです。

■ 働き、助け、祈る…その聖霊を遣わすために創造の父によって主イエス様は地上に降り、苦難を身に受け十字架にお掛かりになり、死んで甦られたのです。この福音を信じる者の交わりが神の国を確信させ、生きる力の源なのです。それは「働き―助け―祈る」生活です。自力では決して解決しない問題が起こった時には、祈る。祈りによって再び力を得て、また働く。そういう循環がテサロニケ教会にはあった、そして私たちそれぞれの教会にもあるのです。祈りはキリストの体なる教会の血液なのです。

■ 結び…パウロがどんなに迫害を受けても決して諦めることなく伝え続けた福音。私たちもその福音を信じ、働き、助け、祈る、キリストの体なる教会として、神の国の到来を待ち望みつつ、皆さんと共に、いきいきと生き続けたいと願っています。

Posted on 01/05/2020 at 17:25, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『平和のカケラ』(イエス・キリストの生涯 その92)(2020.1.5)

それどころか、からだの中で比較的に弱いと見られる器官が、かえってなくてはならないものなのです。(Ⅰコリント人への手紙12章22節)

  • はじめに…主の年2020年、最初の礼拝になりました。明けましておめでとうございます。今年も皆さんの上に主の祝福が豊かにあるようお祈りします。一方、年明け早々、不穏な事態がイラクで起こりました。アメリカの無人機(ドローン)のピンポイント空爆によってイランの司令官が暗殺され、今後、報復の連鎖が危惧されます。
  • 平和のカケラ…今年のいとすぎ教会のテーマは『平和のカケラ ~We are The piece of Peace~』です。“平和のカケラ”。これは昨年のクリスマス・イヴ礼拝を捧げたとき、孫たちに「平和の君なるイエス様が武力ではなく、愛で平和を造られたように僕たちもイエス様の愛で仲良く生きていこう」とメッセージした後に、感想を聞いた際に返ってきた言葉です。イエス様の誕生を記念する礼拝で生まれた、いのちの言葉です。
  • キリストのからだ…私たちは毎年、年始のあいさつをするために実家の両親を訪ねます。たいてい話題は健康のこと、車の免許更新のこと、そして時事のことになります。今年はれいわ新選組の二人の参議院議員のことが話題になりました。「自分一人では何もできない人に、議員が務まるのか?」という率直な疑問でした。戦後復興期に“働け、働け”と鼓舞され、油まみれ、ほこりまみれになって生きてきた両親には、生産性のない(ようにみえる)人の存在は、受け入れるキャパが無いのはもっともなことかも知れません。しかし聖書は「からだの中で比較的に弱いと見られる器官が、かえってなくてはならないものなのです」といい、また、イエス様ご自身、病を負った人々や社会的弱者の側に立ち続け、決して見放しませんでした。イエス様に出会った人たちも同様でした(マルコ2章1-12節他参照)。イエス様を中心(頭)として、様ざまな賜物(特性)をもった人々が、それぞれの弱さ、足りなさに寄り添い、支え合い、助け合って生きていく、その生き様が、社会の物理的、精神的バリアを克服していく強力な力そのものです。
  • 結び…私たち一人ひとりは、平和の君なるキリストのからだの部分として、“平和のカケラ”としてしっかりと組み合わされ、結び合わされ、成長して生きる(エペソ4章16節)真の自由があり、そこに真の喜び、そして真実の愛があります。弱さ、足りなさを持った一人ひとりが、キリストのからだには無くてはならない存在なのです。    We are The piece of Peace
Posted on 12/29/2019 at 22:09, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『まことの光なるイエス様』(イエス・キリストの生涯 その91)(2019.12.29)

そのころ、エルサレムで、宮きよめの祭りがあった。時は冬であった。イエスは、宮の中で、ソロモンの廊を歩いておられた。(ヨハネによる福音書10章22-23節)

  • はじめに…主の年2019年も最後の主日礼拝になりました。この一年を振り返ってみると、思いがけない方々の来訪から始まり、新しい出会い、そして秋田訪問、埼玉訪問、壱岐訪問、個人的には介護福祉士の国家試験受験と、目まぐるしい一年でした。その一つひとつの出来事と出会いの中でイエス様が、私たちの傍らに寄り添い、伴走し、励まし、慰め、御手を伸ばし助け起こして下さったことを思わずにはいられません。主に感謝!
  • ハヌカー…さて、今日のテキストの「宮きよめの祭り」というのは、ユダヤ教徒が毎年クリスマスの時期にお祝いしている「ハヌカー」というお祭りです。中間時代と呼ばれる聖書の空白時代に勃発したいわゆる「マカベヤ戦争」がその由来です。紀元前2世紀頃、イスラエルのユダヤ人はシリアのギリシア人の支配下にあり、ユダヤ教を禁じ、ヘレニズム文明を押し付ける統治者の圧制に喘いでいました。特にアンティオコス4世は安息日を守ることやトーラーの勉強を禁じ、神殿にゼウス像を持ち込んだりしました。これ以上の圧制は堪えられないと、ユダヤ人たちはハスモン家のマタティアとその息子たちを中心に武装蜂起し、紀元前165年、エルサレム神殿を解放しました。神殿を占拠していたギリシア軍は燭台を灯す油の壷をみな破壊していましたが、解放軍は幸い一つ残されていた油壼を見つけます。その油は一日分にも満たなかったのです。ところが灯してみると奇跡的に八日間も燃え続けたことが伝承として語り継がれています。
  • まことの光…今日のテキストは、奇跡的に八日間燃え続けた「奇跡の光」から約200年後、異教の民ギリシア人ではなくユダヤ人の指導者たちが霊的堕落に陥っていました。祭司長をはじめとする指導者たちが神のトーラーの道から外れて、人間の教え(解釈)と制度化した宗教の中で安逸をむさぼっていました。その闇の世に“まことの光”としてイエス様が立たれたのです(ヨハネ福音書1章9節参照)。この宮きよめの祭りの時期にイエス様はマリヤに受胎したのです。
  • 結び…新しい主の年2020年を直前にして、ますます「まことの光」なるイエス様が、私たちの内なる聖霊様の油によって輝いています。
Posted on 12/22/2019 at 18:47, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『イエス様が人生の土台』(イエス・キリストの生涯 その90)(2019.12.22)

ところが、彼らがそこにいる間に、マリヤは月が満ちて、男子の初子を産んだ。それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。                  (ルカ福音書2章6-7節)

  • はじめに…きょうは4本目と5本目のキャンドルに火が灯りました。これは「マリアのキャンドル」と「キリストのキャンドル」です。「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」(ルカ1章38節)と、みこころを受け止めたマリアの信仰による従順を象徴するキャンドルです。そして闇を照らす「世の光」が、主イエス・キリストであることを象徴するキャンドルです(ヨハネ1章5、9節、8章12節参照)。
  • 受胎告知教会のレリーフ…イエス様の母マリアが、天使ガブリエルから受胎告知を受けたとされる場所に受胎告知教会(ガリラヤのナザレ)が建っています。その扉にはイエス様の生涯を描いたレリーフが施されています。左上から反時計まわりに①飼い葉おけで生まれたイエス様、②エジプトへの逃避、③父ヨセフの大工仕事を手伝うイエス様、④バプテスマを受けるイエス様、⑤山上の垂訓、⑥十字架のイエス様。そこから左側の壁に向きを変えると、もうひとつレリーフがあります。それは創世記の出来事です。①アダムとエバ(サタンの誘惑)②産みの苦しみ、労働(恵みの喪失)③ノアの洪水(審判)④モリヤ山でのアブラハムのイサク奉献(あがない)。この世は、創造の主が、人間を愛する愛を現わすために創られた世界です。しかし人の罪(自我・欲)によってこの世界が占領され、主との関係を壊しているのです。この関係を回復する神様のあがないと救いの御業(歴史)が旧新約聖書、そしてイエス様の生涯のテーマです。
  • 羊飼いへの告知…このイエス様の誕生の知らせをベツレヘム近郊の羊飼いたちが天使から聞いたのです(ルカ2章8-11節)。そのとき、「主の栄光が回りを照らした」(同9節)とありますが、主の臨在が再び戻って来たのです。2千年前、上から臨んだ主の栄光が、今は私たちの内側に満ちて、内側の闇を照らし、私たちを用いて世にいのちの輝き、すなわちイエス様の愛を放とうとしています。
  • 結び…私たちの人生の土台は、イエス様です。この待降節の時、改めてイエス様の誕生、生き様、そして十字架と復活を意識して過ごし、ともに新しい主の年2020年を迎えたいと願います。年ごとの待降節は、“主を待ち望む”という創造主に造られた人間の成長の軌跡です。成長させて下さる主の愛に感謝します。
Posted on 12/15/2019 at 21:37, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『罪の告白からキリストの告白へ』(イエス・キリストの生涯 その89)(2019.12.15)

しかし、パリサイ人やサドカイ人が大ぜいバプテスマを受けに来るのを見たとき、ヨハネは彼らに言った。「まむしのすえたち。だれが必ず来る御怒りをのがれるように教えたのか。それなら、悔い改めにふさわしい実を結びなさい。(マタイによる福音書3章7-8節)

  • はじめに…待降節第3主日、3本目のキャンドルに火が灯りました。これは「バプテスマのヨハネのキャンドル」です。バプテスマのヨハネは、救い主なるイエス様を世の人々にいち早く証した、福音宣教の先駆者でした。荒野に住み、いなごと野蜜を食べ、粗末な衣服に身を包んで、“声”として働いていました。御使いガブリエルが、神殿で朝夕の香を焚く奉仕をしているザカリヤに「(…)あなたの妻エリサベツは男の子を産みます。名をヨハネとつけなさい。(…)彼こそ、エリヤの霊と力で主の前ぶれをし、父たちの心を子に向けさせ、逆らう者を義人の心に立ち戻らせ、こうして、整えられた民を主のために用意する」(ルカ福音書1章13-17節)と、その誕生と、その働きについて告知しています。
  • 罪の告白からキリストの告白へ…ザカリヤに告げられたみことば通りヨハネは、荒野で悔い改めのバプテスマを声高に叫びました。ヨハネのバプテスマは律法違反を認めてこれを悔い改める心の表明です。一方、イエスの名によるバプテスマは、根本的の罪、神に対する反逆を知り、神の恵みによってイエス様の贖いによる罪の赦しを知り、イエス様と共に十字架に死に、聖霊を受けてイエス様と共によみがえることを表明するものです。ヨハネのバプテスマはイエス様を信じる前提であり、イエス様を信じる信仰によりて完成されるのです(マタイ3章11節他)。それゆえヨハネのバプテスマで止るはヨハネの本意ではありませんでした。あくまでもイエス様の先駆けです。師が立っている足許を見るのではなく、師の指し示す指先の先の方向を見る必要があります。
  • まむしのすえ…しかし足許すら見ず、形だけで満足してしまうことが多いことでしょう。それでヨハネは「まむしのすえたち」(マタイ3章7節)と、厳しく叱責しました。へびの毒は酒同様、私たちの感覚をマヒさせ無感覚にするのです。私たちの感覚を健康な状態にするのは、聖霊の働きです。聖霊によるデトックス(解毒)作用で、はっきりとイエス様の到来とその愛を敏感に感じるようになります。
  • 結び…バプテスマのヨハネが指し示したイエス様が、すでに私たちの内側に来てくださっていることを実感しつつ、そしてイエス様の愛、喜び、平安(悔い改めの実)が私たちの内側から溢れ、今週出会う一人ひとりにイエス様が証しされるよう祈ります。
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