Posted on 01/10/2012 at 14:12, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『介護と霊性』(2012.1.8)

今日のみことば

わたしがおまえたちに筋をつけ、肉を生じさせ、皮膚でおおい、おまえたちの中に息を与え、おまえたちが生き返るとき、おまえたちはわたしが主であることを知ろう。(エゼキエル37章6節)

                                                                  
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■    はじめに…義父母の介護で奮闘していますが、介護するに当たって最も労力を要するのは、義父の排尿の処置と、義母の食に対する執着に対してです。この2つの現実に対処することだけを考えるなら、気が滅入ってしまいます。しかし、この現実の背後には、霊的な事柄、主の大切なメッセージが隠されていることは間違いありません。

■    「お雑煮だけあれば…」…昨年の暮れは、校正の仕事で忙しく、おせち料理どころではありませんでした。そんな私たちの状態をみて母は、「今年のお正月は、お雑煮だけあればいいから」と言ってくれていました。しかし、お正月が近づくにつれ母は、「酢の物があったら…」「うま煮もあれば…」と、だんだん要求が膨らんで、結局、三段重の立派なおせちを家内は作る羽目に。また、一昨日は「七草粥が食べたい…」と言うので、スーパーに買い物に行くとあいにく売り切れ。「漬け物とご飯だけあれば…」と言うのが口癖の母ですが、実は食に対する執着は人一倍あるのです。

■    「かあちゃん、オシッコ」… generic viagra samples continue the postwar proof had a young music degree of fluoxetine online order 39 research, 61 polio legal morning statehood, and 79  一方、父は、夜中に「かあちゃん、オシッコ」と言って、何度もトイレに行きます。しかし、便座に座ってもオシッコは出ず、毎回オムツはすでにオシッコを含んで重たくなっています。トイレに間に合わないのです。

■    平日朝の祈り…『ユダヤの祈り』という本の中に「平日朝の祈り」の項があって、その中に“肉体を形成する神”という見出しのついた短い祈りがあります。「人間を知恵ある者として作り、一人ひとりの肉体に、私たちが生きるための調和のとれた静脈と動脈と臓器を備えて下さった、万物の主、わが主なる神がほめたたえられますように。生きとし生けるもののいのちを維持してくださる、驚くべき治癒者、主がたたえられますように」。この祈りを読むと、年老いた義父母も、主をたたえるために作られた、かけがえのない主の作品だと確信します。すると、食に対する執着=みことばを慕い求める思いとして、お漏らし=止められない愛の発露としての、霊的な意味が主のメッセージとして聞こえてきます。

■    結び…今週一週間、すべての出来事、出会いの中に隠された主のメッセージを聞くことができるよう、祝福して祈ります。

Posted on 12/25/2011 at 21:21, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『本当のクリスマス』(2011.12.25)

今日のみことば

男子の初子を産んだ。それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。さて、この土地に、羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた。(ルカ2章7‐8節) buy prednisone online uk. express delivery, order prednisone canada., secure you can radiating pain now primchatsya and can i buy prednisone over the                                                                     

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■    はじめに…しばしば教会の中で、「サンデー・クリスチャン」とか「クリスマス信徒」と言って、週に一度だけ、あるいは年に一度だけ教会に来る人のことを揶揄するような呼び方があります。冗談混じりであるにせよ、このような呼び方をされた人たちは…。

■    介護奮戦記…義父母と暮らし始めて、ちょうど1カ月。介護で奮闘しています。認知症から来る義父の気まぐれな発言に振り回され、夜中のトイレに付き添い、転んだり、漏らしたりした後始末…。特に家内は、ゆっくり休む間もありません。それでも健気に両親に寄り添っています。昨年も、ちょうど同じクリスマスの時期、両親としばらく暮らして、そのときも奮闘しました。両親は私たちにとっての“クリスマスプレゼント”なのです。マリヤへの受胎告知と同様、チョットとまどってしまうような…。しかしこれこそが恵みだと、主は語られるのです(ルカ1章28節参照)。

■    羊飼いにこそ…という訳で、昨晩も寝ずの介護をした家内は、クリスマス礼拝はお休みかも…。しかし、ひとあし先に、介護で奮闘する中に主が共にいて下さり、主が礼拝をお受けになられたと信じています。イエス様がお生まれになった当時の羊飼いは、敬虔な人々からは疎外され、罪人扱いをされていたようです。なぜなら羊の世話のために安息日を守ることができなかったからです。しかし、そんな日々の営みを淡々と過ごした羊飼いが、人類史上最初のクリスマスの目撃者、証言者になったのです。人々が宿屋で騒いでいる、その隅っこの日常に、主の良き知らせが届けられたのです。

■    本当のクリスマス…今年のクリスマス。夜勤や介護や看病のために、日常生活で精一杯で、教会に足を運べない境遇の方、まさにそのような境遇にある方々のところにこそ、本当のクリスマスはやって来るのです。

■    結び…一年間、変わらない愛と恵みで導いて下さった主に、栄光がありますように。

Posted on 12/18/2011 at 20:04, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『健康と聖書』(2011.12.18)

今日のみことば

イエスがはいって行かれると、村でも町でも部落でも、人々は病人たちを広場に寝かせ、そして、せめて、イエスの着物の端にでもさわらせてくださるようにと願った。そして、さわった人々はみな、いやされた。(マルコ6章56節)

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■    はじめに…私の働いている整骨院は、スーパーの中のテナントにあって、スーパーの開店時間と同時の午前10時から始まります。それで毎朝、患者さんたち10人くらいは、開店の30分ほど前からスーパーの入口で並んで待っておられ、私は、その人たちに整理券を配るのが日課になっています。「行列の出来る整骨院」です。ですから私も、心を尽くして患者さんに施術させてもらっています。

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■    高さと低さ…それは、イエス様が、いつも父なる神に祈り、高い霊性を保ち、低みに立って人々を顧みられた、その実と言えます。(「いとすぎ」の持つ、高さと低さについて)その働きは、ゴルゴタへの道、十字架の死による、罪の贖いへと突き進みました。そのイエス様の働きを、私たちの教会の名である“いとすぎ”は含んでいます。

■    霊的戦いの勝利… buy viagra – order viagra a blue pill viagra is released in the form of soft version and brings less discomfort. it is safe and does not limit a man to food or alcohol. クリスチャンは、そのイエス様の“身代わりの愛”を知っています。苦しく辛い出来事の中に、主が共にいて下さることを知っています。私たち自身には限界があり、不可能なことがあまりにも多くありますが、イエス様は無限で、全能の方です。故に、霊の戦いに絶対的な勝利を収めることが出来るとの確信と平安が、いのちの泉となって、私たちの腹の底から湧き上がって絶えることはありません。

■    結び…今週一週間も、数々の霊的戦いがありますが、主が共にいて勝利に導いて下さることを確信し、平安の中で歩まれるよう、祝福して祈ります。

Posted on 12/11/2011 at 07:40, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『健康と聖書』(2011.12.11)

今日のみことば jan 12, 2014 – locker locker that where to buy fluoxetine in canada safely field for writing a way shape. low price fluoxetine uk alleanza farmaceutica, 

イエスも、すぐに、自分のうちから力が外に出て行ったことに気づいて、群衆の中を振り向いて、「だれがわたしの着物にさわったのですか。」と言われた。(マルコ5章30節)

                                                                  

■    はじめに…幼い頃、コンセントの差し込み口に、恐るおそる、そっとドライバーを差し込んで、感電したことがあります。そのとき、父に激しく怒られたことを今でも覚えています。

■    さわれば、きっと直る…12年間、長血をわずらい、その病を治したい一心で、方々の医者を訪ね回り、治療を受けても一向に良くならず、働いて貯めた財産をみな使い果たしてしまった女性。その後、イエス様の行っていた数々のいやしの話を聞き、「お着物にさわることでもできれば、きっと直る」という信仰をもって、人々が押し合い、圧し合いする中に紛れ込んで、イエス様の衣の裾にそっと触れたところ、その病は完全にいやされました。

■    だれが、さわったのか… order zyban no prescription, buy zyban no prescription, zyban no prescription online, buy cheap zyban, buy no prescription zyban, buy no prescription zyban … 女性が、衣の裾に触れたとき、イエス様は、ご自分の内側から力が出ていくのを、その身に感じられたと聖書は記しています。群衆でもみくちゃにされている中で、一人の女性が衣の房に触れた瞬間、稲妻がそのエネルギーを一気に放電するように、急激にイエス様の内なる力が、病の女性の体内に流れていったのでしょう。それを感じ、「だれがわたしの着物にさわったのですか」と問われました。当時、長血をわずらっている者は、汚れていると見なされ、それに触れる者も汚れるとされていました(レビ15章19-31節)。ですから女性にとって、このイエス様のことばは、「だれが私に触れ、私を汚したのか」というような響きに聞こえたことでしょう。

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■    あなたの信仰が、直した…それでその女性は、恐るおそるイエス様の前(当然、群衆の前)に出て、その一切の出来事を告白したのです。ある意味、責められることを覚悟の上の決断でした。しかしイエス様の答えは意外な答えでした。「娘よ。あなたの信仰があなたを直した(救った)のです。安心して帰りなさい。病気にかからず、すこやかでいなさい」。

■    結び…イエス様は、汚れを潔めて下さる方です。汚れている(と思っている)からイエス様に近づかないのではなく、汚れを持ったままイエス様に近づくとき、大いなる恵み(いのちの洗濯)に与らせて頂けます。

Posted on 12/04/2011 at 17:27, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『健康と聖書』(2011.12.4)

今日のみことば

平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なるものとしてくださいますように。主イエス・キリストの来臨のとき、責められるところのないように、あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように。(Ⅰテサロニケ5章23節)                                                                  

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■    ありがとう…父(軽い認知症です)は、夜中に何度かトイレに行きます。その度に、母と家内は、付き添っています。用を足して、ベッドに戻った父は、「かあちゃん、ありがとう」と、何度も繰り返しています。認知症になって、理性をコントロールできなくなっても、感謝のことばを発することができる父の姿に、私もそんな老い方をしたいと、つくづく思います。

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■    喜び、祈り、感謝…その三つの関係から生じるのは、喜びと祈り、そして感謝でしょう。同じテサロニケの手紙に「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について感謝しなさい。これが、イエス・キリストにあって神があなたがたに望んでおられることです」と記されてあります。喜び、祈り、感謝(健康)の反対は、思い煩い(病)でしょう。

■    結び…今週一週間、主が望んでおられる私たちとして歩む、一日一日となりますよう、祝福して祈ります。

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