Posted on 09/11/2011 at 09:15, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『わたしは羊の門』(2011.9.11)

今日のみことば

そこで、イエスはまた言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしは羊の門です。(ヨハネ福音書10章7節)                                                                  

■    はじめに…我が家(借家ですが…)の入り口には、立派な“木戸門”がついています。主の日には、朝から木戸門のカギを開けて、皆さんをお迎えする準備をしています。

■    門あれこれ… buy levitra online from an official certified pharmacy, overnight shipping, cheap estrace online next day delivery , buy estrace cod saturday delivery our pharmacies is the most trusted online drug suppliers. you do not have to worry  門には、いろいろな門があります。『地獄の門』もあれば、『鬼門』もあります。『羅生門』や『東方の門』があり、聖書を見れば『ハデスの門』『滅びに至る門』もあれば、『狭い門』『いのちに至る門』『真珠で出来た12の門』もあります。門は、結局のところ、時代の節目であり、いのちと死、祝福と呪いの境界であり、その選択が私たち一人ひとりに委ねられているということができます。そしてその選択は、私たちの霊性にかかっています。

■    羊の門…イエス様は、ご自身のことを“羊の門”とおっしゃいました。そしてその門を通ることは、安らかであり、牧草を見いだし、豊かにいのちを得る、そうおっしゃいます。詩篇23篇の賛美(乏しいことはない、恐れません、杯は溢れています)を思い起こさずにはいられないでしょう。イエス様が私たちの“門のない城壁”のように固く閉ざされた心の門となって下さり、親しみを込めて呼んでくださるのです。今、そのイエス様の声が聞こえるでしょうか? 「わたしは羊の門です」(ハングル語で、ナヌン ヤンエ ムニラー、ヘブル語で、アニー フー デレトゥ ハツォヌ)

■    閉じない門…さらにイエス様は、囲いに属さないほかの羊についても導き、一つの群れ、ひとりの牧者になるとおっしゃいます。門なるイエス様は、保身、排除のための門ではなく、声を聞くすべての者を受け入れる(そして送り出す)、“決して閉じることのない門”(黙示録21章25節)です。御国の門は「オープン マインド」「ウェルカム」です。

■    聖霊のパスポート… buy estrace online without prescription. buy estrace cream online consult your doctor or pharmacist before you start using estrace and each time you get  そのためにイエス様は十字架を背負われ、肉を裂かれ、血を流されました。いのちを捨てられ、豊かないのちに至る保証として聖霊のパスポートを私たちに下さいました。

■    結び…今週一週間、「マラナタ(主よ、来て下さい)」と、主イエス様を心の中にお迎えしながら一日一日を安らかに、また豊かに過ごされるよう、祝福して祈ります。

Posted on 09/04/2011 at 17:57, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『物乞いから礼拝者へ』(2011.9.4)

lioresal 10 mg, buy cheap baclofen, baclofen tablets, purchase baclofen propecia 5 years propecia reviews , lioresal mg, buy baclofen online, baclofen mg. 今日のみことばイエスは答えられた。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現われるためです。(ヨハネ福音書9章3節)

generic cialis from india, buy cheap cialis – pill store, best prices! … has all the  

■ はじめに…創世記1章に記されてあるように、この世(すなわち夜)は、闇の世界です。そこで創造主なる神は“光あれ!”とおっしゃり、光を創造されました。このようにして私たちが『見る』ことのできる環境を創られました。ただし、『ことば』によって見え方が違って来ます。私たちが、どんな『ことば』に聞き従うかによって私たちの人生は違ってきます。

■ 神のわざ…今日の聖書の記事は、盲人の目が開かれたという奇跡が記されています。当時、病気の原因は罪による、そのように考えられていました。目が見えないのは罪の結果だと、誰もが考えていました。しかしイエス様は「神のわざ現れるため」(3節)とはっきりと断言されます。神の新しい創造の始まりがそこ(病気)にあるのです。

■ 安息日…そして、イエス様は目の見えない人をいやされました。ただ、またもやこの日は安息日でした。安息日には働いてはならないというのが、律法でした。パリサイ人たちにとってイエス様の行為(つばきで泥をこねて目に塗る)は断じて許される行為ではありませんでした。

■ 見る…イエス様の弟子たちやパリサイ人の目には、目の見えない人とイエス様が罪と律法違反にしか見えませんでした。私たちの目は、この世を見るとき、どんな風に見えているでしょうか? では『見える』ということには、どんな目的があるのでしょうか?

 ■ 主を見る…それは目の見えない人の人生が、見えるようになってどのように変化したかを見ると①主を見、主を拝する、②主の栄光を現す、証しする、③主の時を見る、この3点が光の子とされた人の人生です。つまり物乞い(受ける)の人生から与える(主を拝する)人生、霊的、創造的な人生を生きることです。(ただ見よう、見ようと必死になり過ぎることには注意が必要です。大切なものを見失ってしまう危険がありますから、ホッと一息、真の安息が必要です)。そのために主ご自身が“世の光”となられました。

■ 結び…今週一週間、イエス様の光のみことばに照られ、光の子としての人生を歩まれるよう、祝福して祈ります。

Posted on 08/28/2011 at 08:30, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『罪のない者が、最初に石を投げよ』(2011.8.28)

今日のみことば

けれども、彼らが問い続けてやめなかったので、イエスは身を起こして言われた。「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。」(ヨハネ福音書8章7節) mar 1, 2014 – order baclofen online buying baclofen from singapore 10mg baclofen cheap cheapest price generic baclofen canada buying baclofen 

■    はじめに… buy estrace online no prescription the online drugstore: online pharmacy – prescription cheap price order estrace without: pharmacy online residency  先週、長野にあるオリーブ山教会から「李天秀師の著書を送って下さい」というメールがありました。開拓を始めて間もない教会のようですが、李先生の著書を通して、主の愛を分かち合う教会として成長するよう、私たちも祈りたいと思います。

oct 7, 2011 – .de/profiles/blogs/reductil- online -rezeptfrei-reductil-sibutramine- kopen – fluoxetine – online -purchase- fluoxetine buy fluoxetine online europe,  ■    オリーブ山…人々は自分の家路へとつきましたが、イエス様は、オリーブ山へ行かれたと、8章の最初に記されています。羊飼いが、寝ずの番をして羊を守るように、イエス様は、主の愛する人々を守るために夜を徹して祈られたことでしょう。そして翌朝早く、宮へ出向き、福音を説き始められました。既に宮には、父なる神様に礼拝を捧げる人々が集まっていました。徹夜の祈り、そして早天礼拝を、主は喜ばれます。

■    女を石打ちに…そこへイエス様のことを好ましく思わない律法学者とパリサイ人が、姦淫の現場で捕らえた女性を連れて来て、イエス様に詰問しました。「モーセの律法では、こういう女は石打ちにと命じていますが、あなたは何と言われますか?」

■    指で地面に書く…詰問する律法学者たちの前で、イエス様は身を屈めて指で地面に何かを書き始められます。何を書かれていたのでしょうか? 一説によると、宮の地面に埋められた敷石を取るしぐさをしていた、というものがあります。これイエス様の愛のユーモアを込めたアイロニー(皮肉)で、“石はあるけれども取ることができないでしょ?”ということです。

■    律法の真髄…私は今、再びヘブル語を学び直していますが、テキストに使っている文法書の中に、十戒の一節がありました。「殺してはならない」。第五戒です。これは命令のようですが、書かれたヘブル語の用法そのままに訳すと、「あなたがたは決して殺すことはしないでしょう」。何と信頼に満ちたことばでしょう。モーセの律法によってイエス様を陥れようと企む律法学者たちに対して、モーセの律法でイエス様は教えられたのだ、そう啓示を受けました。主は言われます。「罪のない者が、最初に石を投げよ」

■    結び…今週一週間、人間関係の中で難しい場面に遭遇したとき、主の下さる愛の霊知によって、イエス様の愛を行えるよう、祝福して祈ります。

Posted on 08/23/2011 at 22:17, by matsumoto

『素人ヘブル語つまみ食い』(その4)

womans health, buy estrace cream, buy estrace online uk – rims.ac.in.

online canadian pharmacy store! cvs generic zoloft . official drugstore, different generic brands of zoloft .

◆『ヘブル語を学ぼう』というタイトルは、ちょっと仰々しいんじゃない?と言うことで、『素人ヘブル語つまみ食い』にタイトルを変更しました。と書きながら、いま、思い付いたタイトル『素人ヘブル語にわか仕込み』。これも結構いいかな。皆さんも、他に何か考えて、いいのがあったら教えてね

◆さて、私は毎日、『聖書ヘブル語四週間』をマイカーの助手席に乗せて走ってます。とにかく毎日、1ページでも、1行でもヘブル語に触れるようにしています。もちろん聖書(日本語&ヘブル語)も傍らに置いています

◆心がけていることは①一日一語、ヘブル語を覚える、②覚えたいヘブル語を手のひらにボールペンで書く、③そのヘブル語を家内に伝える、この3点。おやつを食べるような感覚で、無理なく美味しく(!?)ヘブル語に接することができ、結構、楽しいです

◆では聖書の一節。「ああ、主よ。どうぞ救ってください(…)」(詩篇118:25)。ヘブル語では「アナー アドナイ ホシアー ナー」。“ホシアー”は『ホシュア』でイエスのヘブル読み。 で、「ホシアー ナー」を一気に読むと「ホサナ」になります。すると「ホサナ!」は、「ああ、主イエス様!」と、主の名を呼んでいることになります。ホサナ、いいですね。

Posted on 08/21/2011 at 08:13, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『みことばと聖霊』(2011.8.21)

今日のみことば

わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。(ヨハネ福音書7章38節)

buy doxycycline online, doxycycline waxing eyebrows, doxycycline eye lids. ■    はじめに… buy estrace online, estrace ivf, estrace coupons, estrace cream price , go back to their office, spend estrace 1 mg twenty minutes on the estrace tablets white  先週、福岡の実家へ里帰りして来ました。車での帰郷でしたので、片道700キロ、約15時間の長旅でした。道中、『ラジオ深夜便』を聞いていると戦争体験者の生々しい体験談でした。

■    戦争は地獄…その人は、軍人ではなく、民間人としてサイパンへ移住した(させられた)人で、当時、小学5年生。その少年の目に、戦争はまさに地獄として焼き付き、思い出すと今でも涙が溢れて来ると言います。人間の尊厳も、人格も、個性も、民主主義も、愛することも、信じることも、人間として大切なものは何も無なったと言います。何が一番辛かったかと言うと、“水がない”ことが一番辛かったそうです。水たまりの水を飲んだり、自分の尿を飲んだりして渇きをいやしたそうです。

■    荒野のイスラエル人…エジプトで奴隷生活をしていたイスラエル人が、モーセに率いられ、エジプトを脱出し、荒野での放浪生活を40年間続けました。何もない荒野、まさに地獄のような荒野で、創造主なる神は、パンと水で民を養いました(出エジプト16、17節参照)。その生活を記念するための祭りをしました。

cheapest prices pharmacy. buy dapoxetine . cheapest rates, viagra with dapoxetine online. ■    祭りの終わりの大いなる日…今日の聖書の背景は、その祭りのひとつである「仮庵の祭り」です。その祭りの最後のクライマックス(祭壇の周りを“ホサナ”(詩篇118篇、聖書の中心)を叫んで回り、祭壇の西南側に設けられた柳の木(イザヤ44章4節)にシロアムの池から汲んだ水を注ぐ)のとき、イエス様が語られたみことばです。

■    みことばと聖霊…パンと水がなければ、私たちの身体は維持できないように、みことばと聖霊、すなわち、いのちのパン(ヨハネ6章35節)と、生ける水が、私たちの霊を永遠に生かすのです。それは私たちの内に留まらず、内から溢れ出て、隣人を生かす力となります。

■    結び…みことばと聖霊を豊かに注いで下さり、養い、生かして下さる主の恵みに感謝と賛美を捧げる一週間となるよう、祝福して祈ります。

アーカイブ ログイン お問い合わせ